「非正規」があるからには、当然「正規」の存在が前提となっている。
では「正規職員」とはなにか。
無期(終身)雇用で、その多くがフルタイム(週40時間)を基本として働く職員である。
したがって「非正規」は、それにあてはまらない有期雇用で、パートタイムで働く職員ということになる。
しかし、指定管理者や委託で働く職員の中には、有期雇用でも、フルタイムの職員も大勢いて、これも「非正規」職員であることに変わりはない。
有期雇用職員、無期雇用職員、フルタイム職員、パートタイム職員といえばいいところを、正規、非正規という言葉を使ってしまうのは、終身雇用、フルタイムで働くことが、正しい働き方であって、そうでないのは正しくない働き方であるという意識が、政府、自治体、市民、そして働く側にも未だ広くかつ根強く存在しているからではないだろうか。
非正規職員の多くが、無期かつフルタイムの雇用を望もうとも、現実の正規職員制度の壁はあまりにも厚い。
大体30代、40代になってから、正規職員になりうる道はほとんどない。
かつてある地方の市で司書募集をするから、非正規職員の集まりで声をかけてくれと頼まれたが、よく見ると応募年齢は27歳までとなっており、ほとんど対象になる年齢の人がいなかったということもあった。
終身雇用を前提とする制度の中で、そこからはみ出たものは、賃金、雇用期間など著しく差別された闇労働(非正規雇用)の中で働くしかないのが現状である。
では解決策は?
みな正規職員にしてしまえばいい。というのが一つである。
平均年収800万円の正規職員5人と200万円の非正規職員が5人いる図書館があった場合、現在の人件費は5000万円。
全員正規にして800万円にしたら、人件費は8000万円。
それでは自治体経営がなりたたない。
ならば、公務員制度を大改革して全部ならし、正規は300万円下げ、非正規は300万円上げて、全員500万円にしてしまえばいい。
広島電鉄型解決策である。
実施するにあたっての最大の問題は、正規職員が賃下げを飲むかどうかであろう。
しかし、フルタイム労働を望まない人も多くいるし、現実の開館時間の拡大が相当フレキシブルな勤務体制を必要ともしている。
週80時間開館しているなら、40時間勤務の館長が2人いてもいいぐらいである(昔の北町奉行、南町奉行みたいに)。
フルタイム、パートタイムにかかわらず、弾力的な働き方が必要とされているのである。
そう考えると望ましいのは、終身雇用以外はすべて認めないというのではなく、色々な働き方を平等に認めることではないか。
そして同一価値労働同一賃金の原則に基づいて、どのような働き方であっても、同じ仕事に対しては、同じ賃金が支払われなくてはならない。
そうなれば、長期間継続しない仕事であることを理由に(実際は継続している)首を切られる非常勤の雇用止めはなくなり、無期の短時間公務員になるだろうし、職務給型のフルタイム職員も生まれるかもしれない。
また民間職員にも同じ給料を保障することになれば、民営化による人件費コスト削減も不可能になり、民営化自体よほど合理性がないかぎり進まないであろう。
さて、話が大展開してしまったが、もとに戻りたい。
「非正規」は「正規」しか認めないという考えに基づいた差別的なことばであることに違いは無い。
しかし現実に雇用にしろ給料にしろ、大幅な差別がある以上、むしろその問題を含んだことばとして使われるべきであると思う。
有期雇用職員やパート職員といっても言い換えに過ぎず、問題が見えなくなるだけで無くなったわけではない。
そして本当に差別がなくなり平等が達成された時、「正規」も「非正規」も死語になっていくのではないか。
かつてそんな考え方があったこと自体が、滑稽に思われるような時が来ることを望みたいものである。
(東京支部 小形亮)