2010年06月07日

弟の入院で気づいたこと

病院に長期入院のお年寄りが増え、病院がタイプによって分けられ入院期間が短縮されて大分経つ。
父のときはまだ大丈夫だったのだが、7年前の母の晩年にはこの制度に引っかかるようになり、2度転院した。
この制度は患者と家族が振り回され。不安に陥れられる制度であると思っていた。
しかし、それだけではなかった。

今、弟が倒れ入院している。
救急搬送された地域拠点病院は救急ということもあり、入院の目安は2週間。
この期間中に口から食事をとれるようになることは難しいと判断され、その後の受け入れ先の選択肢が広がるとのことで胃瘻の手術に同意した。
鼻からのチューブでの食事は医療行為となり、介護施設では受け入れてもらえないのだ。

しかし、胃瘻の手術のトラブルで結局1ヵ月半の入院となった。
もし、入院期間が2週間などと短く限られていなかったら、胃瘻の手術はせずにすんだ可能性が高かったろうし、トラブルにあうこともなかったと思っている。

その病院からリハビリ病院に転院することが決まったとき、相手先の都合から、日を置かずの転院となり、救急病院側の医療スタッフは名残惜しがった。
1ヵ月半も入院していたので、回復の様子を見、リハビリの効果などを見て、彼らなりのリハビリ案と回復の期待があったのだ。
救命後、患者がどの程度回復するか、彼らには自分たちの果たしてきた仕事のその後を知ることはないのだ、ということに気づかされた。

昔々のように重篤な事態でなければ転院しなくてすむ状況だったら、たとえ救急のスタッフといえども一般病棟に移った患者の様子を知ることは、転院先の患者の様子を知るよりはずっと容易だったろう。

自分の仕事の結果がわからないというのは、さびしいことではないのか、むなしくなったりしないのか。
仕事って目先の問題の処理だけじゃないんじゃないか。
医療従事者としてのやりがい、仕事へのモチベーションを維持し高めていくのに、患者の回復というのは大きな役割を果たすんじゃないのか。

入院前には海堂尊の小説など読んでいたこともあり、医療制度のあり方と医療従事者の置かれた状況について考えさせられた。

今、図書館には、業務委託や指定管理者制度の導入で、自治体の職員ではない人たちが大勢働いている。
彼らの仕事もさまざまに分断され、図書館業務全体を見通すことができない。
また、医療従事者が医師、看護師、介護福祉士など男女入り混じっている状況に比べ、図書館は圧倒的に女性の職場になっている。
医療現場も図書館も何か本質的な大事なものがないがしろにされて、働く人やその利用者が置き去りにされているのではないだろうか。

リハビリ病院は入院の目安6ヶ月。
回復状況でその後の行き先が決まる。

(川越峰子)


posted by 発行人 at 10:00 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする
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