2010年09月13日

図書館の「意味」をめぐる個人的な雑感

1987年に公共図書館員となった頃、既にコンピュータシステムで図書館を運営しているところは多数あったが、私の所属先はまだ「変形ブラウン」という手作業で貸出を行い、目録は職員が分類、目録記入、カード配列など一連のテクニカルサービスを行っていた。

貸出カウンターに立つ職員は、数百件に及ぶ予約票を貸出手続きの合間に記憶すべく目を通し、貸出時にまだ予約のある貸出票にはクリップを挟んで、返却時の予約引当を容易にする術をとっていた。整理作業スペースでは、分類付与についての意見交換や目録記入の書誌事項の階層をめぐる議論が交わされたりと、今にして思えば誠に牧歌的な、しかし本を身体化していく作業が行われていた。

そうした作業の中では、より多くの予約資料を記憶し確実に確保する職員が、その高いスキルをもって発言力を有したし、バックヤードでは、より的確な分類付与をし、邦文タイプのごとく美しい目録記入を施す職員が、図書館サービスの基盤を支える立ち位置を占めていた。

しかし、コンピュータシステムが導入されて、事態は一変した。先輩方が組合でも熱弁を振るっていた「司書の専門性」の多くは、コンピュータが取って代わってしまった。それを使って何をするのか、ということを問うていた人と、「熟練=専門性」でしかなかった人との、図書館員としての仕事の行方が残酷なほど明暗を分ける。

図書館サービスの根幹的業務である「貸出」にそのような変化がある中で、依然として児童サービスとレファレンスサービスは、伝統的な熟練と知識の集積がモノを言う世界を維持していた。折しも、子どもの利用率の低下が少子化の低減比率よりも上回り、児童サービスの射程が学校図書館支援など外に向いていく80年代の終りと時期が重なる。

80年代以降、公共図書館は次々と設置され、貸出利用も急増し、コンピュータシステムの登場がなければとても捌けない状況となったことは周知の通りである。この時期から90年代末まで、公共図書館はかなり平穏な、また言い換えるとサービスモデルについては変化に乏しい時代を過ごしていたと思う。

さて、2000年代も10年が過ぎ去った現在。レファレンスサービスにも公共図書館プロパーを脅かす流れが出てきている。

レファレンスサービスの一角をなす資料の「所蔵調査」「所在調査」は、国立国会図書館(以下NDL)が運営する「総合目録ネットワークシステム」(ゆにかねっと)、あるいは「カーリル」などが登場して、簡便なインターフェイスでセルフレファレンスを援助しているし、NDLの「雑誌記事索引」についても簡単に論文検索ができ、個人で登録しての複写依頼も可能となった。

またNDLの「リサーチ・ナビ」は、国民のための「調べもの」のポータルサイトを志向しているし、検索サイトが提供する「Q&Aサイト」は、「とりあえずネット」という世代には有効なレファレンスツールとなりえる。

最近、業界誌に掲載された「Q&Aサイトと公共図書館レファレンスサービスの正答率比較」(辻慶太ほか 『図書館界』61(6) p594-608
2010.3)は、これから公共図書館でのレファレンスサービスの優位性をどのように展開していくかを考える上で、非常に意義ある論文である。
発表要綱はこちら

もちろんすべての人々がそうしたWebサービスを使いこなせる訳ではないという点で、いまだ公共図書館は市民の知の拠点として重要なのだが、これまでのようにそうした機能について支配的な立場ではなくなりつつある。Web2.0時代と言われる今日、図書館の本質と、変化していくべき機能や使命、スキルについて建設的な議論を広く図書館プロパー以外の人々の参加を得て議論をすべきであろう。

そうした状況の中で、図書館経営の民営化の流れが出てきた。公立直営を訴える立場からは、現在の民営化を担保する指定管理者制度による図書館経営の問題点を詳細に検討し、導入に異議を唱えている。その問題提起の多くの部分に首肯しつも、そうした運動だけで現在の公共図書館が対峙する経営課題に対応できるとは思わない。

これからの時代のあるべき図書館像とその経営体制を提案することももちろん重要であるが、これまでの公共図書館経営のどのようなところに問題があったのか、あるいはなかったのかについて、しかるべく検証をしなくてはならない。

行き着くところ地方公務員制度にまで言及されなくてはならないだろうが、まずもって、現在の基礎自治体の図書館の状況がどのようなものなのか、実は詳細な実態調査はなされていない。

いずれにしても、指定管理者導入率が6.4%程度である現在、まだ多くの公立図書館では、部分委託等があるにせよ、公立直営を維持していて、それなりに人的リソースが存在している。この部分を活性化させるという方策は、もはや手遅れなのだろうか。あるいはガバナンスの主体としての公務員直営モデルは、公共政策として限界なのであろうか。

いや、そのような二者択一的発想はよくない。様々な主体で経営される長所も多くあるが、公立直営の長短所もきちんと整理した上で図書館ガバナンスのあり方を議論しなくてはならないだろう。

文科省が牽引する「図書館海援隊」というムーブメントが今後どのような展開をするのかよく分からないが、全国各地で元気で活発な活動を展開している図書館が、水平的な図書館活性化支援(イマイチ図書館の改革)を出来るよう、日本図書館協会はもとより、図問研、あるいは各県単位の図書館協会などが手を携えて何かできないか、当事者のひとりとして考えたい。

人間のあり方を交換可能な「価値」に変換しようという時代の不整合を、図書館が自在に変化し質していく自問装置として存在できないだろうか。そのように考える時、図書館は時代の流れと無縁では有り得ないし、世界の価値のパラダイムを相対化させるという壮大なパースペクティブも必要である。

「世の中には変わってはならないものがある。図書館の使命は資料提供につきるということもそのひとつ」という意味合いの言説に、半分頷き、半分首を傾げる。

図書館のあり方、機能や価値が、時代の変化とともに変わっていくことを避けてはならない。そして図書館は、その変化を生きる人間、つまり言語によって拓かれた無限の果てをいくしかない人間の知的な行為を、どのように支えるかという「意味」において普遍なものなのではないか。

(滋賀支部 嶋田 学)


posted by 発行人 at 19:34 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする
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