2010年11月30日

積ん読よ永遠なれ

ついに終わってしまいました、某局の大型歴史ドラマ。しかしここ高知では往生際悪くも引き続き龍○頼みの地域経済振興策がこれでもかとばかりに繰り出されております。ガラクタには大枚をはたくのに図書館には…と、そちらの方向の話は別の所でさんざん繰り広げられておりますので、軌道修正。

ドラマの中の○馬は黒船来航で開眼するところとなりましたが、いま黒船呼ばわりは言わずと知れた電子書籍。その利便性、可能性云々については今さらここで私ごときが述べるまでもありませんので割愛。

しかしながら、少なくとも周りでは日常的にタブレットで本を読んでいるという方はまだいらっしゃいません。こんな田舎まで浸透するにはまだまだかかりそうですが、私自身、本を液晶画面で読みたいか、と問われると答えはノー、です。

先日、県の図書館大会で電子書籍と図書館についての対談を聞く機会がありました。紙ベースの旧来の書籍は、電子データに置き換わっていくものと、これまで通り紙の本として存続していくものとに二分されるだろうというお話でした。

使い勝手や保存の面など、いろいろな理由で紙の本が完全にはなくならないだろうという見解にはホッとしたと同時に、やっぱりそうだよなぁと我が意を得たりといった思いでした。

そして、自分なりに、紙の本にできて電子書籍にできないことって他に何だろう?と考えて思い当たりました。それは、「電子本では"積読"ができない」という、かなりアホらしいものでした。

確保した本をすぐには読まずに積み上げてしばらく置いておく。曲りなりにも図書館に勤める人間としては背徳行為ですが、食べ物に旬があるように、本にもその人にとっての「読み頃」があると思います。

それがどんなタイミングでやってくるのか、とりあえず買ったり借りてみたりして、背表紙を眺めながら熟成させる。そうしているうちにホコリを被ったり図書館の本なら期限が近付いてきたりして困ったことになる。

それだったらやっぱり電子書籍の方がいいじゃないか、場所を取らないし、いつでも好きなときにデータを取りだせるんだから、とおっしゃる向きもあるでしょう。しかし、モノとして実体がある以上、そして視界にいつも背表紙が入ってくる以上、積読者(?)はそれらの本に関しての責任を負っているわけです。

私はいま、「ライ麦畑」と著作権の新書と禅の入門書とショウガのレシピ本とクリスマスの絵本と井上靖全集別巻を放置している、という緊張感と、いつかそれらを棚から引っ張り出す時のワクワク感。この実感は、やっぱりリアル本じゃないと生まれない。笑わば笑え。私の本棚から読んだことのない本の山が消えることは決してないでしょう。

ただ、同じ積んである本でも「在庫」の山は悲しいものがあります。昨年、身の程を顧みず本を出版しましたが、当然のごとく売れ残り部屋の中を占領しています。友人知人に配りまくりましたがまだまだ残っていますのでご関心ある図書館関係の方、お知らせいただければお送りいたします。宣伝まで。

(道草ヤスコ)

Y妻日記.png


posted by 発行人 at 18:16 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする
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