私がお知らせしている情報は、福島県の郡山市や福島市の情報です。しかも、私のごく身近なところだけです。全貌ではありませんので、注意してお読みください。
TV等でも報道されているように、被害はもっともっと深刻です。本当にひどい災害にあわれた方々は、情報を発信できないと思います。
ようやくネットにアクセスできました。11日は、学校で授業中に被災しましたが、生徒たちは全員無事でした。吹雪の中、校庭に逃げました。
学校の壁が崩落。図書館は書架が倒れ、本が飛び出し、足の踏み場もありません。パソコンがいくつも机から落ちました。停電のため、学校では、懐中電灯やトランシーバーを使いながら、生徒たちが無事帰宅できるまで、見送りました。
電車が動かず、職場から40キロ以上離れた自宅まで帰るのに時間がかかり、自宅では停電と断水。学校のある郡山市から福島市まで車で帰る先生に乗せてもらって帰りました。
朝からガソリンスタンドは長蛇の列で、1台10リットルまでと制限して販売しているところもあったそうです。電車が動かず、電話もなかなか通じず、安否を確認するには車で動くしかありません。
災害時、ラジオ情報が地域情報を知る上で、有用だということがはじめてわかりました。災害用伝言ダイヤルのかけ方、避難場所、開いているスーパー、水がどこでもらえるかなど、ローカル情報を得ることができました。
12日は、あちこち崩れて通行止めになった道路を迂回しながら車を運転して学校に行きました。
被災した日の夜は、携帯もつながらず、停電でラジオだけがたよりでした。暗く、寒い夜、日の出を待ちわびました。
津波の映像をTVで見ることができたのは、地震のあった翌日です。
福島(東北)では、電車が運行していません。郡山駅は駅自体にも崩落の危険性があるそうです。
自宅のある福島市から職場のある郡山市まで、崩れた道を迂回しながら車で行ったその帰り、電車で伊達市(福島市の隣の市)に帰れず、郡山で足止めされていた福島県立田村高校の司書をピックアップして帰ってきました。
このとき、待ち合わせの連絡をしようとして携帯から携帯に電話をしましたが通じず、携帯からメールを送ったところ、届くまで6時間もかかりました。
携帯のメールには、送信から着信までに時差が生じることがあるようです。避難している場所に学校の電話から直接電話をかけて、待ち合わせることができました。
隆起したり、陥没したり、崩れたり、水が出ていたりして通行止めになっている道路があり、渋滞に何度もあいました。通常、1時間で帰れるところを、5時間かかって帰りました。
13日は日曜だったためか、車で動いている人は昨日より少ないようでした。ガソリンがなかなか買えません。いざというときのために、できるだけ車を使わずにいるのだと思います。車を使わず、自転車や徒歩でスーパーやコンビニに出かけている人が多いようでした。
販売数に制限を設けているところもあるようですが、私が行ったコンビニでは、制限がありませんでした。でも、みんなが困っているので、買い占める人はいません。
原発事故もおこってしまいましたが、まわりの人たちとはげましあって、がんばります。
学校はまずは児童生徒の身の安全確保が最優先されます。図書館的には、やはりちょっと特殊な館種であるとおもいました。
私の場合、ちょうど、子どもの利用のない時間だったので1階であったために、図書館の窓から外の中庭にいた子どもたちを集めしゃがんで、揺れがおさまるのを待ちました。
ちいさな池があったのですが、水槽を揺らしたように水が逆巻きました。校舎の窓ガラスが降ってこないか、はらはらしながらこどもと校舎をみるような状況でした。揺れがおさまってから校庭避難です。
保護者の引き取りが終わったのは 次の日の朝7時でした。夕方一度帰宅し、おにぎりを作ってふたたびに学校に行った時23時で26人の児童が待っていました。図書室の本を取りに来ては待機所である食堂にもっていって、本を読んでいました。
ご無沙汰しております。
こちらは春休みに入っていたため自宅にいましたが、取り合えず大丈夫といったかんじです。
須賀川も食料品やガソリンは同じような感じです。
メールアドレスなどは変わっていませんので、電車さえ動けば図書館の片付けの手伝いくらいはいけますのでおよびください。
心強いメッセージをありがとう。
西間木くん、無事でよかった。
卒業生や図書委員だったみんなの無事を祈ってます。
先週は、自宅のある福島市の避難所の手伝いなどをしていました。
電車はまだ動かないけど、3月22日からは黎明に通います。
元気で、また会おう!