2010年12月27日

図書館道徳経序 その6

厭恥第十三
寵辱若驚、貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵為上辱為下。得之若驚、失之若驚。是謂寵辱若驚。何謂大患若身。吾所以有大患者、為吾有身。及吾無身、吾有何患。故貴以身為天下者、即可寄於天下。愛以身為天下者、及可以託於天下。

一般の利用者にとって、図書館の資料評価基準は理解しがたいものであるようだし、図書館が批判を受けた資料や批判を受けた著者の著作を守ろうとするのも理解できないようだ。一般の人びとが理解できない図書館の資料評価基準とは、一般的には高尚な資料やその著者は高い評価を受け、低俗な資料やその著者は低く見られる。

しかし、図書館では、いわゆる通俗本も多く所蔵されていることに驚かれ、また、高尚でそれゆえあまり利用がない資料は、自館で所蔵せず中央館や他の図書館の所蔵に任されている。これが、一般人の理解しようとしない図書館の資料評価基準である。

批判を受けた資料やその著者の著作を守ろうとするのは、批判を受けた資料や著者がどのような理由で批判を受けたのかは、その資料や著作がなければ判断できない。そして、資料や著作を無くしてしまえば、批判を受けたという事実さえうやむやになってしまう。そこで、すべての資料を等しく価値あるものとして遇する者にこそ、図書棺の経営が任されるべきである。また、資料を自分の命のように愛する者にこそ、図書館を託すべきである。

賛玄第十四
視之不見、名曰夷。聴之不聞、名曰希。搏之不得、名曰微。此三者不可致詰。故混而為一。
其上不t、其下不昧。縄縄不可名。復帰於無物。是謂無状之状・無物之象。是為恍惚。
迎之不見其首、随之不見其後。執古之道、以御今之有、以知古始。是謂道紀。

図書館は、単なる建物や書架および蔵書を意味するのではない。建物をいくら見ても図書館を見たことにはならない。それゆえ、図書館は「夷」すなわち影も形もないものであるともいえる。

また、図書館の大多数の利用者は、自分の現に受けているサービスが十分であれば満足している。利用者アンケートを行ったとしても、それだけで図書館の評価を決定することはできない。図書館とは声なき大衆のものである。

さらに、図書館は、蔵書数や貸出数などのデータのみで評価できるものではない。これらのデータのみで、しかも、単年度の経費の増減のみを問題としても、図書館を評価したことにはならない。それゆえ、図書館とは微妙なモノである。

建物や蔵書などの実体としての図書館、利用者一人一人にとっての図書館、経営データ上の図書館の三者を同時に研究することが必要である。図書館の評価には、どの視点が欠けても十分ではない。

図書館および図書館サービスの重要性は、自治体首長や教育委員会にとっては明確に意識されていないが、住民にとっては明白である。欧米の例に見るまでもなく、図書館は「あって当然」のものである。そして、ひとたび良い図書館が設置されるに至っては、それまで図書館の存在を意識していなかった住民も、幸福をもってその存在を享受する。

図書館は人類の文明とともに成長し変化してきているので、その始まりを明確にすることはできないし、その完成形を示すこともできない。図書館の原則を守って、現在の住民に合わせてサービス計画を策定してゆかねばならない。これが、図書館経営の大原則である。

顕徳第十五
古之善為士者、微妙玄通、深不可識。夫唯不可識、故強為之容、與兮若冬渉川、猶兮若畏四隣、儼兮其若客、渙兮若水之将釋、敦兮其若朴、曠兮其若谷、渾兮其若濁。
執能濁以静之徐清、執能安以久動之徐生。
保此道者、不欲盈。夫惟盈不盈。故能蔽復成。

立派な図書館人というものは、一見、何を考えているものかわからないほどぼんやりしているが、あらゆることに深く通じている。強いてその言動をつぶさに見ると、あらゆることがらに対して、冬に川を渉るもののように慎重で、周囲を畏れるもののように謙虚である。

しかし、自らの職に関しては、威儀厳然として、客に行った人のようであり、春の日に氷の溶けようとしているように柔軟であり、ものごとに固執することがない。山から切り出したばかりの新木のように飾り気が無く、谷のようにむなしく、濁り水のようにすべてを受け入れる度量を持っている。

濁り水のように混濁したものを澄まして明らかにできるものは誰であろうか。なれあって膠着しているものを揺り動かして新しいものを生じせしめるものは誰であろうか。真の立派な図書館人のみになし得ることである。

図書館学に生きるものは、単純に満ちることを欲しない。また、単純には満足しない。それゆえ、常に進取の精神をもって、新しい事業に突き進んでゆくのである。

(つづく)

(T.T.)
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2010年12月20日

昨今のインターネット環境にはまる

Little red bunny.jpg師走ですね。何かとあわただしい季節になりました。

私は未だに、ネットの世界ではミクシィやツイッターには近づけないままですし、スカイプやエバーノートもかじっただけの状態です。

ところが、データ保存をするためドロップボックス(https://www.dropbox.com/)だけは日々活用しており、私にとっては役立つ無料ツールの代表となっています。おかげで今まで使っていたUSBメモリーやポータブルのハードディスクは必要なくなりました。

そもそも、裁断をしない「元祖」自炊系です。特に、スキャンスナップ(http://scansnap.fujitsu.com/jp/)とアクロバットの組み合わせがお気に入りです。ドロップボックスは、この2つとの相性が抜群なのです。スキャンして、PDFデータにして、フォルダに仕分けをすれば、データは自動的にクラウドへ。ネット環境さえあれば、好きなときにデータの確認ができます。

恐らくiPadなどの端末があれば、便利さをもっと実感するのかも知れませんが、あいにく未入手です。今使っている携帯電話の更新時には、購入を考えたいと思っています。ちなみにシュガーシンク (https://www.sugarsync.com/)は、データのバックアップ用に使っています。

これまで買ったスキャナは、スキャンスナップだけでもすでに4台になります。はじめに使ったのは、ヒューレット・パッカード製のスキャナでした。大量の紙(文献コピー)を何とかしようというのが目的でした。その付属ソフト(ペーパーポート)は、データの整理整頓に便利だったのですが、データ(.maxという形式)は今も一般的ではありません。それでもソフトは残り続け、過去のデータを閲覧することは問題なくできるようです。ただし、保存媒体にはPD(http://ja.wikipedia.org/wiki/Phase-change_Dual)を使っていましたので、こちらは残念ながら発売中止になっています。

フリーの写真素材サイトstock.xchng (http://www.sxc.hu/home)も最近よく使っています。上のようなかわいい写真もありますので。

(Y.H.)
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図書館道徳経序 その5

能為第十
載営魄抱一、能無離。専気致柔、能嬰児。滌除玄覧、能無疵。愛民治国、能無為。天門開闔、能為雌。明白四達、能無知。
生之畜之、生而不有、為而不恃、長而不宰。是謂玄徳。

図書館の原則にのっとった図書館経営から乖離しないようにしなければならない。そのような図書館に出会ったならば、真剣にその長所を学び、柔軟に応用しよう。そうすれば、赤ん坊のように図書館を成長させられるだろう。思いこみや頑なな態度を改めれば、さらに図書館を発展させてゆける。

利用者である住民のことを第一に考え、設置者である役所のことも理解しようとすれば、図書館の邪魔をされることもない。開館時間をはじめとした利用者の要望には、誠意を持って対応しよう。あらゆることに通達していると思っていても、謙虚に利用者の話を聞くべきだろう。

図書館は、地域文化の創造者であり保護者でもあるが、図書館がそれらを生み出したからといってそれを図書館のものとして批判を封じるようなことがあってはならないし、その端緒になったからといって驕ることがあってはならないし、それらの集いの場になったからといって、永遠に図書館の枠のなかにそれらを囲い込んでいてはならない。これが、図書館の密やかな誇りである。

無用第十一
三十輻共一轂。當其無有車之用。挺埴以為器。當其無有器之用。鑿戸庸以為室。當其無有室之用。故有之以為利、無以為用。

さまざまな図書館がひとつのデータベースを共有して、総合目録を作っている。これは、自館に資料が無かったとき、図書館の機能を果たすために始まったものだ。図書館は、常に様々なところへ手を伸ばしており、確たる主体性が無いかのようにも見える。しかし、それゆえに、図書館はその無限の可能性を追求できる。図書館は、大いに門戸を広げて、利用者を呼び込んでいる。利用の制限がないからこそ、多くの利用者が図書館を支持する。だから、「無い」ことを強みに変えてゆく知恵と工夫が図書館には要求されている。

検欲第十二
五色令人目盲。五音令人耳聾。五味令人口爽。馳騁田獵人心狂。難得之貨令人行妨。是以聖人為腹不為目。故去彼取此。

様々な色を一緒に見せても、人の目はその色彩を判別できない。さまざまな音をただ聞かせても、人の耳は、その精妙さを理解できない。様々な味をただ強くしても、人の舌は麻痺してしまう。館内をあちこち歩き回らせるような書架構成は、利用者を疲れさせてしまう。

いかに多くの資料を集め、目録を整備し、レファレンス体制を充実させても、実際に資料を手にすることが困難であるならば、住民は、結局、その図書館を利用しようとしないだろう。そこで、優秀な図書館人は、一般利用者のためを心がけた書架の構成に努めようとする。選書においても同様の取捨選択をして、蔵書構成を考えるのである。

(つづく)

(T.T.)
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2010年12月13日

学校司書のいる学校図書館の日常

「なんかおもしろい本ないん?」「先生のおすすめの本って何?」と学校図書館に来た子供たちはよく言う。が、聞かれると一番困る言葉でもある。

「おもしろい本」って? こわい話の本なのか。ミステリー・推理小説なのか。ファンタジー(物語)なのか。ノンフィクションで感動したいのか。楽しくて笑える本なのか…… その子が今、何を求めているのかを探るため「どんな本読んだ?」「何が好き?」と聞き返す。会話をしながら紹介した数冊の本の中から、興味を持った一冊を自分で決めて借りていく。

返却時には「おもしろかったよ。」「続きある?」「ほかには?」「いまいち。」といろいろな感想が…… その時にすぐ反応がなくても、何日後かに紹介した本を借りていく姿を見かけたりもする。「やったあ! しめしめ……」と心の中で私はにんまり。

勤務1年目、ラベル(請求記号)統一などの環境整備を図書ボランティア(保護者や地域の方)のみなさんに手伝ってもらい、年度末にNDC(日本十進分類法)による配置替えをして本の場所を決めた。すると、子どもたちや先生方は毎日利用するから、どんな本がどこにあるのかを自然と身につける。

4月の年1回のオリエンテーションではNDCやラベルの説明をする。5〜6年生には奥付も紹介して参考文献などでの引用についても説明する。リクエスト予約もきちんとできるようになっているから、将来どこの公共図書館でも利用できるのだ。

学校図書館がその機能(読書センター、学習情報センター、教員支援センター)を果たすようになるには、学校司書がいて利用者あってのこと。

校内で見つけた青虫を持ってきて「何の幼虫か知りたい」と調べに来た3年生の女の子。クルマが好きで図鑑の間違いに気づいた5年生の男の子。昆虫に詳しい職員も図鑑の間違いを指摘(どちらも出版社に問い合わせるとすぐ対応してくださった)。

「教室では書けない」と言って作文用紙を持ってきたので、話を聞きいろいろアドバイスしたら、ちゃんと自分で作文を仕上げた6年生の男の子(担任の先生が後で話してくださった)。悩みや自分のことを話してくれる子どもたち。クラスに溶け込めない子のほっとする空間でもあるのだ。

また、先生方へのレファレンスサービスは200%応えるようにがんばったので、1年目より2年目、2年目より3年目とだんだん増え、学校図書館の利用は1年目より2〜3倍にもなった。先生方も学校図書館へ関心や信頼を寄せ、全職員が読み聞かせをしてくださったり、毎月の「2・3が60読書運動」は大変であるにもかかわらず協力してくださった。

図書ボランティアのみなさんは本の補修や新刊本の受け入れ、掲示作成などの環境整備と朝の読書タイムでの読み聞かせ、昼休みのおはなし会などの読書活動に協力してくださった。

このように、学校司書が学校図書館にいるからこそ、先生方への支援、子どもたちへの細やかなサービスが充実する。

「育てる」とは短期間で結果が出ることではない。結果を求めるなら過程こそが大切であるのではないか。目先のことにとらわれず、人材育成する(=「生きる力」を養う)ことにこそ、未来がある。


学校図書館活用教育には、学校司書配置が急務である。

(香川支部 一藁)
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図書館道徳経序 その4

韜光第七
天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生。故能長久。
是以聖人後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪。故能成其私。

図書館をとりまく環境の中でも、図書館協議会や友の会が長く続くことがある。これらの団体が長く続くのは、その構成員が真のボランティア精神にあふれている時である。

そこで、図書館のリーダー達がこれらの団体と関わるときは、彼らをひいきしていると見せずにひいきし、あくまでも図書館の外部団体として扱おうとする。彼らが真のボランティアとして働くとき、素晴らしい図書館ができあがるものである。

易性第八
上善若水、水善利万物而不争。処衆人之所悪。故幾於道。
居善地、心善淵、与善仁、言善信、政善治、事善能、動善時。
夫唯不争、故無尤。

よい図書館人とは水のようなものである。水は全てのものに利益をもたらして争うことがなく、一般の人びとがつまらないと思うところにいる。同様に、よい図書館人は住民にさまざまな利益を与えながら、それをあたりまえのこととして声高に主張することもなく、かならずしも高額な報酬を得ることはない。

その居住生活は大地のように落ち着いていて、心は淵のように落ち着いていて、与えるときは報いを求めることなく、言ったことは必ず実行し、何かを決定するときは常に平穏無事を心がけ、事を為すには能力の限りを尽くし、動くときには時にかなっている。
そのような人であれば、水のように争うことなく、他から欠点を指摘されることもない。

運夷第九
持而盈之不如其巳。揣而鋭之不可長保。金玉満堂莫之能守。富貴而驕自遺其咎。功成名逐身退天之道。

書架が一杯になったからといって図書館が完成したというわけではない。一つの専門に特化しても、その後の資料の買い換えや展開を怠っていれば、その専門性を維持することはできない。レア・ブックや貴重な古文書を持っていても、参考書やその他の二次資料が十分になければ、それらを利用できず、図書館として持っていると言うことはできない。高いサービス指標を達成しても、その分析を怠れば、いずれ没落しつまらない図書館になってしまう。高いサービス水準を達成した後はそれを敷衍し、他館や後代に伝えてより高いサービスを目指すのが、真の図書館経営である。

(つづく)

(T.T.)
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2010年12月06日

図書館道徳経序 その3

無源第四
道冲而用之、或不盈。淵乎似万物之宗。
挫其鋭、解其粉。和其光、同其塵。
湛兮似或存。吾不知誰之子。象帝之先。

図書館とは、本棚があるだけの只の空間であるように見えるが、これを十分に用いようとすれば常に新たな発見があり、「使い尽くす」ことなどできない。それは、「情報の海」「知識の海」として全ての生物の母とされる海にも例えられる。

図書館の中では全ての人が、その先鋭さを忘れてゆったりと思索に耽り、その問題解決の糸口を見いだし、その高慢さを改めて、平易な表現を身につけるようになる。太古からそのようであって、いつか誰かによってそのように定められたものではない。全く、これこそ図書館の本質でもある。

虚用第五
天地不仁、以万物為芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗。
天地之間、其猶藁籥乎。虚而不屈、動而愈出。
多言數窮、不如守中。

図書館の上位者である教育委員会や自治体も、図書館の利用者たちも、一定の見識が在るわけではなく、いわゆる箱もの行政でもって図書館建設を語ろうとする。また、政治家や議員も、図書館について深い見識があるわけではないので、一時の利用の過多に右顧左眄する。

このような環境の中での図書館政策の提言は、ふいごを使って火を熾すときのようにしなければならない。小さな火種でも絶やしてはならないし、燃え上がってきたならどんどん活性化させねばならない。そんなときに、多くの複雑な事例をただ、羅列してはならない。図書館の原則を貫くのみである。

成象第六
谷神不死、是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地之根。綿綿乎若存、用之不勤。

図書館の根本は不滅である。それは、人類の文化そのものである。人類の文化の根本とは、言い換えれば人類の精神でもある。それゆえに、人類が存在する限り、図書館も不滅なのである。

(つづく)

(T.T.)
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2010年11月30日

積ん読よ永遠なれ

ついに終わってしまいました、某局の大型歴史ドラマ。しかしここ高知では往生際悪くも引き続き龍○頼みの地域経済振興策がこれでもかとばかりに繰り出されております。ガラクタには大枚をはたくのに図書館には…と、そちらの方向の話は別の所でさんざん繰り広げられておりますので、軌道修正。

ドラマの中の○馬は黒船来航で開眼するところとなりましたが、いま黒船呼ばわりは言わずと知れた電子書籍。その利便性、可能性云々については今さらここで私ごときが述べるまでもありませんので割愛。

しかしながら、少なくとも周りでは日常的にタブレットで本を読んでいるという方はまだいらっしゃいません。こんな田舎まで浸透するにはまだまだかかりそうですが、私自身、本を液晶画面で読みたいか、と問われると答えはノー、です。

先日、県の図書館大会で電子書籍と図書館についての対談を聞く機会がありました。紙ベースの旧来の書籍は、電子データに置き換わっていくものと、これまで通り紙の本として存続していくものとに二分されるだろうというお話でした。

使い勝手や保存の面など、いろいろな理由で紙の本が完全にはなくならないだろうという見解にはホッとしたと同時に、やっぱりそうだよなぁと我が意を得たりといった思いでした。

そして、自分なりに、紙の本にできて電子書籍にできないことって他に何だろう?と考えて思い当たりました。それは、「電子本では"積読"ができない」という、かなりアホらしいものでした。

確保した本をすぐには読まずに積み上げてしばらく置いておく。曲りなりにも図書館に勤める人間としては背徳行為ですが、食べ物に旬があるように、本にもその人にとっての「読み頃」があると思います。

それがどんなタイミングでやってくるのか、とりあえず買ったり借りてみたりして、背表紙を眺めながら熟成させる。そうしているうちにホコリを被ったり図書館の本なら期限が近付いてきたりして困ったことになる。

それだったらやっぱり電子書籍の方がいいじゃないか、場所を取らないし、いつでも好きなときにデータを取りだせるんだから、とおっしゃる向きもあるでしょう。しかし、モノとして実体がある以上、そして視界にいつも背表紙が入ってくる以上、積読者(?)はそれらの本に関しての責任を負っているわけです。

私はいま、「ライ麦畑」と著作権の新書と禅の入門書とショウガのレシピ本とクリスマスの絵本と井上靖全集別巻を放置している、という緊張感と、いつかそれらを棚から引っ張り出す時のワクワク感。この実感は、やっぱりリアル本じゃないと生まれない。笑わば笑え。私の本棚から読んだことのない本の山が消えることは決してないでしょう。

ただ、同じ積んである本でも「在庫」の山は悲しいものがあります。昨年、身の程を顧みず本を出版しましたが、当然のごとく売れ残り部屋の中を占領しています。友人知人に配りまくりましたがまだまだ残っていますのでご関心ある図書館関係の方、お知らせいただければお送りいたします。宣伝まで。

(道草ヤスコ)

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図書館道徳経序 その2

養身第二
天下皆知美之為美、斯悪巳。皆知善之為善、斯不善巳。
有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音声相和、前後相随。
是以聖人処無為之事、行不言之教。万物作焉而不辞。生而不有。為而不恃。功成而弗居。夫唯弗居。是以不去。

一般の利用者は、その時々で流行っているもののみを求めるものだが、それだけで図書館コレクションを形成しようとしてはいけない。また、その時に正しいとされたことが書かれたもののみを求めて、批判したものを排除しようとするが、それも正しくない。

ある意見にはかならずその反論が生じる。結局同じ事が書いてあるからといって、簡単な解説書だけでは十分ではないし、専門書だけあってもしかたがない。冗長な原典は利用されないからといってダイジェスト本だけを揃えても意味はないし、高尚な文学も通俗な小説も等しく図書館として必要な資料である。声高な主張が真理であるわけではない。時間的にすべての主張を体系的に揃えることによって、新たな発見がなされることもある。

それゆえに、真の図書館人は一見「選ぶ」わけではなくただ漫然と平等に集めているように見えて、長い目で見れば素晴らしいコレクションを作り上げる。それらについて、いちいち説明はしないし、そのコレクションを絶対のものとして変えようとしないと謂うこともない。将来的な結果というものをよくわきまえているので気負うこともないし、その結果を無意味に誇ることもない。とはいえ、決して自信や信念をもっていないのではないので、その収集方針に揺らぐところもない。

安民第三
不尚賢、使民不争。不貴難得之貨、使民不為盗。不見可欲、使民心不乱。是以聖人治、虚其心、実其腹、弱其志、強其骨、常使民無知無欲、使夫智者不敢為也。為無為、即無不治。

価値論に重きを置くことがなければ、選書基準は明確になるだろう。十分な資料費を付けて複本購入に努めるならば、延滞や紛失も恐れることではないだろう。資料提供の要求に徹するならば、利用者の信頼を得るだろう。このように、真の図書館人による選書は、一見選んでないように見えて、利用者の満足度を高め、図書館や図書館員のエゴや独善を廃して図書館コレクションを豊かにし、利用者の強い信頼を得てかえって予約・リクエストを減らすことができる。要求論に徹することが、利用を増やすための第一歩なのである。

(つづく)

(T.T.)
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2010年11月23日

図書館道徳経序

史記曰、子周朝司書也。辞去時、述三千言、著其思想。人呼是老子道徳経。
何彼道、即司書道。何彼徳、即司書徳。世人誤解。余欲正是。
此而瞑想、知其思想、述真実。読是識是。

史記によると、老子は周王朝の司書であったと言われる。其の職を辞し、都を去るにあたって、三千言を述べて、其の思想を著した。後世の人は、是を老子道徳経と呼んでいる。
彼の説くところの道とはなんであろうか。図書館の道のことであろう。彼の説くところの徳とは何であろうか。司書の徳であろう。しかし、世人は是を誤解している。私は、是を正したいと思う。
そこで、深く瞑想して、老子の思想を知り、此処に真実を述べ伝えようと思う。是を読んで知るがよい。

体道第一
道可道非常道。名可名非常名。無名、天地之始。有名、萬物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其徼。
此両者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄。衆妙之門。

 一般的に図書館経営とは、単純に本の貸し出しのみをさしているが、それだけではない。また、図書館とは単なる建物を指す物でもない。図書館とは、建物や場所を指すものでなく、そのサービス全体を指す物である。それ故、単なる建物や資料、役所や学校のなかの部署として図書館の名があるのではなく、サービスの受け手と提供者の合致するところに図書館の名が存在するのである
 そこで、これを理解したものは、真の図書館経営を体得するが、図書館を形骸的にしか見ないものは、その統計的な数値のみに眼をとらわれてしまう。
 この両者は、同様に、図書館経営を志しながら、結果的に全く異なるものを作り出してしまう。まったく、図書館とは、微妙で奥の深いものである。この微妙で奥の深いものを突き詰めてゆくことによって、真の住民サービスの展開があるのだ。

(つづく)
(T.T.)
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2010年11月15日

全てが僕の力になる!



みなさん、「くず」というデュオを知っていますか?
フジテレビ系列のバラエティー番組から誕生した、ANIKI(山口智充さん)とHIRO(宮迫博之さん)のデュオです。
このデュオが2004年にリリースした3rdシングルが「全てが僕の力になる!」です。
作詞・作曲は、ANIKIこと山口智充さんです。

2004年は、私が採用2年目で初任校(工業高校)にいた頃です。
長い歌詞なので、かいつまんでご紹介します。

君の声が力になる! 君の笑顔が力になる!
(以下略)
降り注ぐしがらみに怯えても モラルの無さに傷ついても
いくあてのない気持ちのイライラも 全部ひっくるめて力にすればいい
君の声が聞きたいから 君の笑顔が見たいから
何もかもを抱きしめたら それが僕の力になる!
(以下略)
全てが僕の力になる!

私は、この曲をテレビで初めて聴いたとき、「図書館員のテーマソング」だなと思いました。
「君の声が聞きたいから 君の笑顔が見たいから」何があっても日々の業務を頑張れるんだよなぁと。

今年、4年ぶりに学校図書館勤務になりました。
勤務校は、定時制・通信制のみの高校です(定通単独校と呼ばれます)。
15歳から生涯学習のために学んでいる年配の方まで年齢もさまざまです。

生徒の大半がいろいろな問題を抱えています。
だから、いろいろなニーズがあり、とてもやりがいのある職場です。
そして、そういう状況だからこそ、一層強く「君の声が聞きたいから 君の笑顔が見たいから」頑張れるんだと思っています。

でも、生徒に「司書さん面白すぎ」(なぜ?)と言われるのは、どうかと思っていますが。。。

(P.N.天然でんねん)
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2010年11月08日

弱点克服のすすめ

ブルガリア・ソフィア市のトラム.jpg今さら言うことではありませんが、弱点克服こそ前進への近道です。人は、何かと自分の弱点を、自分の強みで補おうとするものです。つまり、自分の弱点から逃げることが多いのですね。でも最近、弱点を克服しなければ、何事にもそこには限界があることに気がついたのです。

実は、私は英語のヒアリングができません。本当に英語は難しい。イタリア語やスペイン語などは、知っているボキャブラリーは全部聞き取れるのに、英語はそうはいきません。ヒアリングができないと英語ができるとは言えないので、中学英語のヒアリングに戻って聞いてみることにしました。

すると、Youは「ユー」ではなくて、どちらかというと「ヨー」に近いことがわかりました。他にも、canは「キャン」ではなくて「ケン」に近いこともわかりました。そうやって英語を聞いていると、いったい日本の英語教育は、わざわざ英語のできない国民をつくっているようにも感じました。なんとか英語ヒアリングの達人になりたいものです。

話は「弱点」に戻って、その他の自分の弱点を考えてみました。弱点としては「可もなく不可もなし」ができないことですね。

これは論語の言葉のひとつで、現在では「短所もないが長所もなく、平凡であるさま」を指す言葉のようで、よく退職の挨拶などで自分を謙っ(へりくだっ)た言葉として使われますが、もともとは「言行が中道で過不足がない」という積極的な意味です。何事も行き過ぎは良くないという意味でしょうね。また、物足りないのも良くないという意味です。ぜひ、この「可もなく不可もなし」を自分のこととして言ってみたいものです。

また、私は苦手な人を避けて通るところがあります。以前はそんなことはなかったのですが、いつの頃からかそのようになってしまったのです。今後はこのことを自分の弱点として、「苦手な人こそ、近づいていく」という姿勢で生きていこうと思います。

過去のことは変えられません。また、未来はわかりません。だから、「今を一生懸命生きる」ことしか楽しく生きる道はないでしょうね。そのためにも「弱点克服」は大切です。

(明石浩 福山市新市図書館)
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2010年11月02日

図書館のマイク

冒頭からお断りします。当初は「図書館の音響」というタイトルにしようと思ったのですが、ちょっと大げさな感じなので、このタイトルにしました。一応、前回の「図書館の照明」に続けるつもりだったのですが、そんな前回も「図書館の蛍光灯」という内容だったので、そこのところ、身の丈に合わせることにさせていただきます。

さて、図書館のマイクといっても、あなたの図書館にはないかもしれません。しかし、ちょっとした規模の会議室や集会室があれば、そこにはマイクのセットがあると思います。もっとも、やはり、だいたいの図書館では、使用する機会はあまりないところが多いのではないでしょうか。

そんななか、いざ、マイクを使用するとなると、トラブルが起こることが多いのです。なかでも、ワイヤレスマイクには、気をつけなければいけません。

ワイヤレスマイクに関してよく起こるトラブルのなかには、電池の電圧低下による不具合があります。

このトラブルは、図問研の全国大会でも何度か起こっています。この不具合のやっかいな点は、音が途切れ途切れになってしまうことです。マイクの音声がいきなり全く聞こえなくなるということにはならないので、かえってわかりにくいのです。

この対策は、きわめて簡単です。私は以前、1,000席規模のホールを併設する公民館に勤務していたことがあるのですが、そのホールを管理する音響の業者さんは、行事の本番のたびに、新しいアルカリ電池をワイヤレスマイクにセットします。(しかも、新しい電池でもその都度、チェッカーで電圧を確認されます。新しい電池でも放電していてはいけないということです。)

つまり、使う前に新しい電池に替えれば、それで済むことなのです。

図問研の全国大会では、どうして、ワイヤレスマイクの不具合が起こってしまうのでしょうか。ある時は、マイクの中にマンガン電池が入っていました。(しかも、どういうわけかセロハンテープで止めてありました。)

また、ある時は、充電式電池が入っていました。この時は、ホテルの人から、「充電したはずです」って言われましたけれど、電池を替えたら、きちんと音が出るようになりました。もともと、充電式電池は乾電池よりも電圧が低いので、ワイヤレスマイクに使うものではないと思うのですが・・・。

行事を開催している側から考えると、音響機器使用を前提に有料で施設を利用しているのですから、電池は、きちんとマイクに入れておいてほしいのです。マイクにマンガン電池が入っていたホテルの向かいのドン・キホーテでは、単3のアルカリ電池4本が99円で売られていました。いったいどれほどの費用の節約のために、せっかくの行事が水を差されることとなってしまったのでしょう。

あなたの図書館でマイクのトラブルが起こらないようにするには、行事の本番の前に、ワイヤレスマイクの電池を新しいもの(もちろんアルカリ電池)に取り替えるだけで、かなり防げるはずなのです。(ここまで読んで、「そんなことを言っても、電池の無駄使いではないか」と思われたあなた、けっしてそうではありません。まだまだ使える替えたほうの電池は、もちろんそのあとほかで使うのです。)

もっとも、ワイヤレスマイクというものは電波を使いますので、電池以外が原因のトラブルも発生します。ご近所の商店の安売りの案内と混線することもありましたし、テレビの取材が入った時にノイズが発生したこともありました。有線のマイクで用が足りるのであれば、ワイヤレスマイクは使わないほうが良いのです。そもそも、有線マイクなら電池も使わないですみます。

最後に、私は音響について詳しく知っているわけではありません。いままでの経験をもとに書いておりますので、誤りなどがありましたらご遠慮なくご指摘ください。この文章が行事などの円滑な運営の参考になれば幸いです。

(広島支部 高野淳)
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2010年10月11日

子育てしながら思ったこと

読み聞かせしてます.jpg 私事ですが、今年1年間、育児休暇を取っています。図書館界の情報に、疎くなる一方です。

 さて、利用者の立場で図書館を見ると、いろいろなことが見えてきて、考えさせられます。まず、自分の職場になかなか行けなくて、びっくりです。車で20分くらいなのに、なんと、遠いこと。お話会の時間に合わせていくのが、こんなに大変だったなんて。

 まず、子が起きているのが大前提。荷物を用意するだけで、あっという間に時間が過ぎていきます。よく、「行こうと思ったけど、間に合わなかったの」と利用者の方に言われましたが、その気持ちがよく分かります。来てくれるだけで、感謝です。

 今は結局、歩いていける図書館にばかり行っています。そして、図書館で大きな声を出したら、冷や冷やしながら、注意しますが、それで、静かになるなんてまず、無理でした。いつも、注意していたけど、自分がその立場になると、確かに図書館に行きにくくなるかもしれません。それでも、大丈夫と思わせる、雰囲気つくりは大切だと、感じました。

 そして、借りた本。すぐになめようとして、読み聞かせどころではなく、本の争奪戦になります。もう少ししたら、破きだすんだろうな・・・とにかく目が離せません。もちろん、借りた本は大切にしないといけません。子どもに言い聞かせることは、親の役目だと思います。

 読み聞かせも、毎日たくさん読んであげようと思っていましたが、これがなかなか時間がなく、2、3日に1冊のペースです。これではいけないなと、日々反省です。でも、本を読むと、ニコニコして聞いてくれるので、親バカですが、かわいいです。

 図書館の設備についても、こうすれば使いやすいのにと思う点が、いくつかありました。これは、職場復帰したら、少しずつ改善していこうと思います。

 選書についても、育児コーナーがありますが、どういう本が喜ばれるのか、少しは分かった気がします。とにかく、情報は新しくです。いろんなアンテナを張っておくのは、大切だと実感しました。

 今はあと少し、2人の時間を楽しみたいと思っています。

(M.T.)
posted by 発行人 at 16:05 | Comment(1) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

2010年09月13日

図書館の「意味」をめぐる個人的な雑感

1987年に公共図書館員となった頃、既にコンピュータシステムで図書館を運営しているところは多数あったが、私の所属先はまだ「変形ブラウン」という手作業で貸出を行い、目録は職員が分類、目録記入、カード配列など一連のテクニカルサービスを行っていた。

貸出カウンターに立つ職員は、数百件に及ぶ予約票を貸出手続きの合間に記憶すべく目を通し、貸出時にまだ予約のある貸出票にはクリップを挟んで、返却時の予約引当を容易にする術をとっていた。整理作業スペースでは、分類付与についての意見交換や目録記入の書誌事項の階層をめぐる議論が交わされたりと、今にして思えば誠に牧歌的な、しかし本を身体化していく作業が行われていた。

そうした作業の中では、より多くの予約資料を記憶し確実に確保する職員が、その高いスキルをもって発言力を有したし、バックヤードでは、より的確な分類付与をし、邦文タイプのごとく美しい目録記入を施す職員が、図書館サービスの基盤を支える立ち位置を占めていた。

しかし、コンピュータシステムが導入されて、事態は一変した。先輩方が組合でも熱弁を振るっていた「司書の専門性」の多くは、コンピュータが取って代わってしまった。それを使って何をするのか、ということを問うていた人と、「熟練=専門性」でしかなかった人との、図書館員としての仕事の行方が残酷なほど明暗を分ける。

図書館サービスの根幹的業務である「貸出」にそのような変化がある中で、依然として児童サービスとレファレンスサービスは、伝統的な熟練と知識の集積がモノを言う世界を維持していた。折しも、子どもの利用率の低下が少子化の低減比率よりも上回り、児童サービスの射程が学校図書館支援など外に向いていく80年代の終りと時期が重なる。

80年代以降、公共図書館は次々と設置され、貸出利用も急増し、コンピュータシステムの登場がなければとても捌けない状況となったことは周知の通りである。この時期から90年代末まで、公共図書館はかなり平穏な、また言い換えるとサービスモデルについては変化に乏しい時代を過ごしていたと思う。

さて、2000年代も10年が過ぎ去った現在。レファレンスサービスにも公共図書館プロパーを脅かす流れが出てきている。

レファレンスサービスの一角をなす資料の「所蔵調査」「所在調査」は、国立国会図書館(以下NDL)が運営する「総合目録ネットワークシステム」(ゆにかねっと)、あるいは「カーリル」などが登場して、簡便なインターフェイスでセルフレファレンスを援助しているし、NDLの「雑誌記事索引」についても簡単に論文検索ができ、個人で登録しての複写依頼も可能となった。

またNDLの「リサーチ・ナビ」は、国民のための「調べもの」のポータルサイトを志向しているし、検索サイトが提供する「Q&Aサイト」は、「とりあえずネット」という世代には有効なレファレンスツールとなりえる。

最近、業界誌に掲載された「Q&Aサイトと公共図書館レファレンスサービスの正答率比較」(辻慶太ほか 『図書館界』61(6) p594-608
2010.3)は、これから公共図書館でのレファレンスサービスの優位性をどのように展開していくかを考える上で、非常に意義ある論文である。
発表要綱はこちら

もちろんすべての人々がそうしたWebサービスを使いこなせる訳ではないという点で、いまだ公共図書館は市民の知の拠点として重要なのだが、これまでのようにそうした機能について支配的な立場ではなくなりつつある。Web2.0時代と言われる今日、図書館の本質と、変化していくべき機能や使命、スキルについて建設的な議論を広く図書館プロパー以外の人々の参加を得て議論をすべきであろう。

そうした状況の中で、図書館経営の民営化の流れが出てきた。公立直営を訴える立場からは、現在の民営化を担保する指定管理者制度による図書館経営の問題点を詳細に検討し、導入に異議を唱えている。その問題提起の多くの部分に首肯しつも、そうした運動だけで現在の公共図書館が対峙する経営課題に対応できるとは思わない。

これからの時代のあるべき図書館像とその経営体制を提案することももちろん重要であるが、これまでの公共図書館経営のどのようなところに問題があったのか、あるいはなかったのかについて、しかるべく検証をしなくてはならない。

行き着くところ地方公務員制度にまで言及されなくてはならないだろうが、まずもって、現在の基礎自治体の図書館の状況がどのようなものなのか、実は詳細な実態調査はなされていない。

いずれにしても、指定管理者導入率が6.4%程度である現在、まだ多くの公立図書館では、部分委託等があるにせよ、公立直営を維持していて、それなりに人的リソースが存在している。この部分を活性化させるという方策は、もはや手遅れなのだろうか。あるいはガバナンスの主体としての公務員直営モデルは、公共政策として限界なのであろうか。

いや、そのような二者択一的発想はよくない。様々な主体で経営される長所も多くあるが、公立直営の長短所もきちんと整理した上で図書館ガバナンスのあり方を議論しなくてはならないだろう。

文科省が牽引する「図書館海援隊」というムーブメントが今後どのような展開をするのかよく分からないが、全国各地で元気で活発な活動を展開している図書館が、水平的な図書館活性化支援(イマイチ図書館の改革)を出来るよう、日本図書館協会はもとより、図問研、あるいは各県単位の図書館協会などが手を携えて何かできないか、当事者のひとりとして考えたい。

人間のあり方を交換可能な「価値」に変換しようという時代の不整合を、図書館が自在に変化し質していく自問装置として存在できないだろうか。そのように考える時、図書館は時代の流れと無縁では有り得ないし、世界の価値のパラダイムを相対化させるという壮大なパースペクティブも必要である。

「世の中には変わってはならないものがある。図書館の使命は資料提供につきるということもそのひとつ」という意味合いの言説に、半分頷き、半分首を傾げる。

図書館のあり方、機能や価値が、時代の変化とともに変わっていくことを避けてはならない。そして図書館は、その変化を生きる人間、つまり言語によって拓かれた無限の果てをいくしかない人間の知的な行為を、どのように支えるかという「意味」において普遍なものなのではないか。

(滋賀支部 嶋田 学)
posted by 発行人 at 19:34 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

2010年08月31日

スタンプ

今年、日本の全国各地の図書館の所蔵・貸出状況を検索できる「カーリル」が登場しました。
みなさんも使われたと思いますが、たのしいサイトです。
2010年8月28日現在、5000館以上に対応しています。

http://current.ndl.go.jp/node/15922

カーリルは、「夏休みだよ!」ということで「図書館スタンプラリー」を実施しています。
たのしいですね。僕もちょっと遊んでみました。

http://current.ndl.go.jp/node/16647

思い起こせば、僕は子どものころからスタンプが好きでした。
当時は、国鉄の駅のスタンプや観光地などのスタンプを押すのが楽しみでした。
子どもですから、出かける機会は貴重であり、押したスタンプを何度も見返していました。
あのスタンプ帳は、親のところにあるのかなあ。
今でもスタンプは好きなのですが、スタンプ帳を持っていくことも少なく、これではいかんなと思ったところです。

ちなみに、スタンプは、実際に行って自分が押す、というところに一つの魅力があります。
ですので、友人からスタンプが押された紙をもらっても、それほどうれしくはないのです。
やはり、スタンプラリーが象徴的に示すように、踏破欲と結びついているのかもしれません。
このあたりは、旅行貯金や三角点・水準点めぐりなどとも通じるのでしょう。

フィクションにおける描かれ方がしばしば問題になる、ニューアーク式のカードに名前を残したいという気持ちもそうでしょう。
図書館に自分の貸出履歴を残したいという思いもそうかもしれません。

風景印.jpg風景印も好きでした。
風景印とは郵便の消印の一つで、正式名称を「風景入通信日付印」といいます。
郵便局が民営化された今も、根強い人気があります。
『風景スタンプ集. 北陸・東海・近畿』(山本昂編,日本郵趣出版,2001.12)などの書物が近年も出版されています。

風景印を集めていたころは、今のようにインターネットもないころでしたが、雑誌『スタンプクラブ』(日本郵趣出版,[1974]-1985)を通して、全国の人と風景印を交換した記憶があります。

この雑誌に、風景印について投稿し掲載されたことを、ふと思い出しました。
その雑誌は持っていませんし、何号かも分かりません。
県内には、所蔵が無いようです。
実物を見て探すしかないでしょうか。
むむ、NDL-OPACを検索してみると、本館ではなくて国際子ども図書館にあるようです。子どもの雑誌なのか。

最近は、郵便を出すことも稀です。
職務において相互貸借で使うくらいで、個人で郵便を出すということがほとんどありません。
子どものころなりたかった職業は、郵便屋さんなのですが…。
わが支部の支部報もクロネコヤマトさんのメール便で発送していますが、たまには郵便で風景印で送ってみると、たのしいかな。


朱印.jpg寺社の朱印。
自分で押すものではなく、僧や神職をはじめとして寺社のメンバーによって押されるもので、これをスタンプと言ってしまうと、その筋の人から怒られそうですが、やはりスタンプでしょう。
ヘンな子どもですが、僕は小学生のころに朱印帳を所有し、押してもらっていました。
ただ、基本的に有料ですので、小学生にはつらいものがありましたが。

全国各地にある、「なんとかなんじゅうなんかしょ」などの巡礼における朱印は、スタンプラリーでしょう。
遍路の本には、「スタンプラリーではありません」などと書いてありますが、昔の人にとっても、スタンプラリーの意味があったんだろうなあと思っています。
朱印についても、『御朱印入門 : 決定版』(淡交社編集局編,淡交社,2008.12)などが出版されています。

もう9月ですね。
9月はいろいろ出かける予定があるので、スタンプ帳を持っていこうと思います。

博物館、美術館、水族館、動物園、植物園、科学館、文学館などでは、スタンプがあることも少なくありませんが、図書館では、スタンプを見た経験がありません。
つくってみようかな、でも不器用なのでダメか。

(K.S.)
posted by 発行人 at 22:18 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

2010年08月30日

Librahack事件と図書館の責任

岡崎市立図書館のウェブサイトに自作プログラムでアクセスした利用者が逮捕・勾留された事件−通称Librahack事件(*1)−は、インターネット上で衝撃をもって受け止められ、現在も活発な議論が続いています。ここでは、主に図書館と図書館員の対応について問題点を考えます。

既にまとめサイトが作られ、詳細な情報が集積されています。
岡崎市立中央図書館事件 議論と検証のまとめ
逮捕されたLibrahack氏もこの件についてのサイトを作成しています。
Librahack 岡崎図書館事件の真実を検証

また、朝日新聞の神田大介記者が精力的に取材を行い、8月21日に図書館システムに問題があったとの記事が報道されました。
図書館HP閲覧不能、サイバー攻撃の容疑者逮捕、だが…(8/21)
なぜ逮捕?ネット・専門家が疑問も 図書館アクセス問題(8/21)
ソフト会社、図書館側に不具合伝えず アクセス障害問題(8/21)
図書館長「了解求めないアクセスが問題」 HP閲覧不能(8/22)

事件の経緯議論と検証のまとめサイトより適宜抜粋)
2010年3月14日:逮捕されたLibrahack氏が図書館の新着図書のISBNや予約件数を自動的に取得するプログラムをさくらインターネットのレンタルサーバ上で稼動。同時に岡崎市立図書館のWebサーバが停止する事態が頻発するようになる。
3月19日:システム開発元である三菱電機インフォメーションシステムズ(以降MDIS)はこの障害をクローリング(*2)によるものと認識。しかしこれを図書館には伝えていない。MDISは2006年には今回の事件で発生した不具合を修正していたが、岡崎市立図書館は古いバージョンのシステムを使用していた。
3月20日:ログの調査によって多数のアクセスがあることを発見。図書館職員が岡崎署の署員に軽く相談。
3月31日:岡崎市立図書館がさくらインターネットのレンタルサーバからのアクセスを遮断。
4月2日:Librahack氏はレンタルサーバの問題と認識し、自宅または実家からのアクセスに変更。
4月2日頃:愛知県警より図書館にヒアリング。
その後図書館よりアクセスログとさくらインターネットドメインのメールアドレスを登録していた利用者4名の氏名・住所・電話番号・生年月日などの情報を、県警の照会に応じて任意提出。
4月15日:愛知県警が図書館に立件できるかもしれないとのことで、被害届を出すよう促し、図書館が被害届を提出。
5月25日:朝、Librahack氏自宅に警察が訪れ、任意事情聴取及び家宅捜索、任意同行。あらかじめ準備されていた調書にサイン。17時頃、逮捕。容疑は業務妨害。業務妨害の内容は、3月14日から4月15日まで、64,008回リクエストを送り、サーバを再起動した日が21日あったこと。
5月26日:新聞各社による実名報道
6月5日頃:警察・検察ともにこれはサイバー攻撃ではないと認識。
6月14日:起訴猶予処分として釈放。
6月24日:Librahack氏、事件のサイトを作成。
7月16日:情報ネットワーク法学会 - 第1回「技術屋と法律屋の座談会」「岡崎市立中央図書館へのアクセスはDoS攻撃だったか?」開催。
8月21日:朝日新聞で図書館システムに問題があったとの報道。同日、岡崎市の報道対応にて、大羽館長は「(男性の自作プログラムに)違法性がないことは知っていたが、図書館に了解を求めることなく、繰り返しアクセスしたことが問題だ」「図書館側のソフトに不具合はなく、図書館側に責任はない」と表明。
カーリルが事件に対する見解を発表

技術的な問題について(*3)
Librahack氏が作成したプログラムは新着図書の詳細データをクローリングして情報を集めるものでした。おおむね1日1回、2000件程度の新着資料の詳細情報ページに1秒1回程度の間隔でアクセスしていたとのことです。これは新着図書の期間が長すぎ、資料点数も多すぎ使いにくいことから、いつ入った資料かを明らかにしその予約点数などをチェックするLibrahack氏自身のためのプログラムでした。その後Librahackというマッシュアップ(*4)サイトとして公開する予定もあったようです。これは図書館のWebサイトが使いにくいために利用者が自ら使いやすくし、それを他の利用者にも公開しようという点で、カーリルなどのサービスとも共通する積極的な側面を見出すこともできるでしょう。
岡崎市立図書館に導入されていたMDISの古いソフトは、10分間で1000回程度のアクセスがあると不具合が起こったようであり、これはソフトに欠陥があったと考えられています。1秒1回や10分1000回程度のアクセスで不具合が生じることは通常考えにくいからです。
産総研の高木浩光さんがブログでわかりやすく三菱の図書館システムの問題を説明しています。

この問題が注目されている背景
インターネットでのサービスを作成している多くの人々がこの事件に衝撃を受けました。現在、マッシュアップ(*4)やクローリングを用いたインターネットサービス(またはまったくの個人用プログラム)は会社でも個人でも数多く作成されています。クローリングのプログラムにとって1秒1回程度のアクセスは常識的なものだと考えられています(*5)し、その程度のアクセスでサーバが停止するほど脆弱だとは通常想定できないからです。また、警告やアクセス停止ではなく、いきなり逮捕・勾留されたということですから、これが一般化すれば自分が突然逮捕される可能性も常にあるということになります。カーリルが見解を表明したのも、カーリルが図書館のOPACに行っていることも基本的にはLibrahack氏の行為と変りはないからです。
かくいう私も自分の勤務する図書館のWebOPACや「日本の古本屋」をスクレイピング(*6)した経験があり、他人事とは思えませんでした。例えば1000件のISBNリストの所蔵の有無を、勤務している図書館のシステムで調べようと思っても1件ずつ検索するしか方法がありません。しかし検索プログラムを作れば、こうした検索を自動化しその結果を加工することもできます。このように、WebOPACをhackすることは有益なのです。
ちなみに私は文学部出身で、図書館のシステム担当者でもなく、スクレイピングはExcelVBAという簡易なプログラム言語で、まったく個人的用途で行っています。Webサイトをプログラムで情報収集するということが一般化してきている一例としてご理解ください。

図書館の対応の問題点
MDISと警察・検察にも問題点が多く見られますが、ここでは図書館の対応の問題を述べます。

まず、不具合の原因をシステムではなくアクセスに求めたことが挙げられます。不具合についての判断を誤り、それが被害届の提出につながったわけです。これについては、MDISがシステムの問題を認識していたにも関わらず、図書館に十分な情報提供を行っていなかった疑いもあります。また、図書館には図書館のシステムやWebサービスに関する問題について十分な知識をもった職員が配置されるのが望ましいのですが、現実には必ずしもそうはなっていないという実情もあります。しかし、1秒数回程度のアクセスでサーバが落ちるのはシステムがおかしい、という程度の認識を持つことを図書館員は要請されるのではないか、と個人的に思います。

次に、安易に警察に被害届を出したことです。『日経コンピュータ』2010年8月4日号の記事(78-80p)でも、警察ではなくWebサイトのぜい弱性や外部からの攻撃などに関する情報を取りまとめるJPCERTコーディネーションセンターなどに相談すべきであったと指摘されています。
これについても警察から被害届を出すよう促されたとの情報もあります。また、警察・検察が「サイバー犯罪」についての専門的知識を十分にもっていれば、今回の事件についても逮捕する前にDOS攻撃ではなくクローリングであると判断できたでしょう。また、DOS攻撃だという疑いがあったとしても逮捕・任意同行・20日の勾留という不適当(不当)な捜査をせずに、在宅の事情聴取で事態を明らかにすることもできたでしょう。このように、警察・検察が正しい判断ができ、また適正な捜査手法を取ることが当然に期待できるのであれば、たとえ図書館が自らの判断に自信がなくとも、警察に相談し被害届を出すことは問題がないと考えられます。Librahack氏が被った損害の多くの部分は逮捕・勾留によるもので、それは図書館の求めたことではなく、警察・検察の捜査に関する裁量(及び裁判所の追認)によるものであり、必ずしも図書館に一義的な責任はありません(*7)。しかし、誤った判断に基く被害届の提出は、時として不適当(不当)な捜査を招来する可能性があるという意味において、図書館はこうした事案での被害届の提出に慎重であるべきだと考えます(*8)。

図書館はLibrahack氏の逮捕については報道で知ったようですし、その後も8月21日に朝日新聞が図書館システムの問題を報じるまでは、事態を正確に認識していなかった可能性もあります。しかし、報道後の岡崎市立図書館の対応には疑問が残ります。報道によれば図書館は図書館システムに問題はなく、Librahack氏が図書館に了解なくアクセスを繰り返したことが問題だとの立場を取っています。岡崎市立図書館はまず自館の図書館システムが極めて脆弱だったという事実を認めるべきでしょう。図書館のサイトにプログラムでアクセスすることの是非については後述しますが、今回の事件は図書館システムの欠陥によって引き起こされており(サーバの増強などではなくプログラムの欠陥の修正で問題は解消される)、極めて脆弱な図書館システムを公開していた点、またシステムの問題を誤って外部に転嫁し、結果として利用者であったLibrahack氏に多大な損害を与えた点について、図書館には結果責任が(MDISや警察・検察と共に)あると考えます。Librahack氏が結果として図書館に迷惑をかけたことに謝罪の意を示しており、朝日新聞社の神田大介記者が当初の報道被害の責任を表明していることから考え合わせると、図書館も(故意ではなかったとはいえ)今回の事件についての結果責任の表明があってしかるべきではないかと思います。

図書館の自由に関係して
既にネットでは議論されていますが、図書館の自由に関係する対応としては、さくらインターネットドメインのメールアドレスを持つ4名の個人情報、及びアクセスログデータの任意提出が問題となるでしょう。アクセスログは直ちに個人情報と結びつくものではないという点、また図書館のサイトへのアクセスを利用情報と見なすかどうかについては考えが分かれるところかもしれません。しかし、アメリカなどではサイトへのアクセスをバーチャルな来館者として実際の来館者と総計して統計に示す場合もあり、今後図書館のWebサイトでデジタル資料を直接閲覧することが増えることを考えても、広義の利用情報と捉えることが適切と考えます。こうした利用情報の外部提供は原則として認められないことは言うまでもありません。

図書館サイトへのプログラムからのアクセスの是非
図書館のサイトはOPACというデータベースを中核としており、データベースはプログラムによるアクセスと親和性が高いものです。世界で最も利用されている書誌データベースはAmazonであり、様々なサービスにマッシュアップされ利用されています。今後もプログラムを用いてサイトにアクセスするという動きは拡大していくでしょうし、図書館のサイトもパブリックな書誌DBとして利用されるようになることが期待されています。もちろん自治体の予算によってサーバ等どの程度のアクセスを許容できるかは異なるでしょうし、小さな自治体の図書館にまで多くのアクセスを捌く能力を期待することは現実的ではありません。
最も望ましいのは図書館システムがAPI(*6)を標準装備することでしょう。そしてAPIの利用規約でアクセスをコントロールすれば、スクレイピングによる予期せぬ負荷増大もある程度防ぐことができるでしょう。しかし、実際には大手ベンダーの公共図書館向けシステムでAPIを実装しているところはないと思います。
では、プログラムによるアクセスは申し出制にするのでしょうか?(*9) または、robots.txtで封じ込めるのが適切なのでしょうか? APIのID発行のように簡単に手続きできるのであれば、スクレイピングするユーザに一報入れてもらうという方法もないではありません。ただし、これは不具合が発生した際に連絡するためという意味が大きいでしょう。
岡崎市立図書館の事件が話題を呼んだのは、サイトのスクレイピングが逮捕に結びついたという行為と結果のアンバランスさによるものです。その原因はお粗末なシステムだったのですが、その背景には図書館のサイトやOPACにどのような利用を想定するかという問題があります。

最後に
岡崎市立図書館は、新しい中央図書館で精力的に図書館サービスを行っており、新図書館は利用も大変多いと聞いています。それだけに、このような事件が起こったのは残念です。
図書館にとっては、連日サーバがダウンし、システムベンダーにはアクセスが多いためだと言われ、警察には被害届を出すように促され、困りながら対応しただけで、図書館は被害者だという意識があるかもしれません。しかし、図書館の判断ミスによって、結果として図書館のヘビーユーザであったLibrahack氏に多大な損害を与えたという事実は重く受け止めるべきでしょう。
カーリルは今後絶対に逮捕者を出すべきでないという見解を発表していますが、公共図書館の職員こそ岡崎市立図書館の轍を踏まぬようLibrahack事件を重く受け止める必要があると考えます。
また、インターネット上で議論が沸騰し、情報ネットワーク法学会がいち早くこの事件を取り上げたのに比べ、現場の図書館員の議論や情報交換が低調に感じられます(自戒を含む)。先日Code4Libe Japanが発足したように、図書館関係者が利用者やベンダーを含めて図書館システムに関する知見を共有していく必要性についても付言しておきます。
(静岡支部 新)


*1:逮捕された男性が公開したサイト名及び作成したプログラムに付ける予定だった名前にちなむ。この男性をLibrahack氏と記す。
*2:クローラー(ロボット、スパイダー)と呼ばれるプログラムが情報を収集すること。
*3:私自身も技術的な問題については詳しくないので、誤りがある可能性があります。
*4:複数のWebサービスを組み合わせて新しいサービスをつくること。カーリルはAmazonの書誌データと図書館の所蔵・予約データのマッシュアップと言うことができる。
*5:『SPIDERING HACKS』によれば「どの程度の速度でページアクセスを行えば礼儀正しいと言われるのかについては、場合によってまちまちです。WebmasterWorld.comへの寄稿者たちが提案している基準は、ページに対するリクエストを1秒当たり1〜2回までに抑えておくというものです。」(p9)
*6:プログラムからWebサイトにアクセスする王道はAPIを使うというものです。APIが用意されていれば、リクエストをプログラムで発信すれば欲しい情報が的確に取得できます。しかしAPIがない場合、Webページを読み込んでその中から情報の書いてある部分を読み込むということになります。これをスクレイピングやスパイダリングと呼びます。スクレイピングはWebページのレイアウトが少し変ってしまっただけで情報が取得できなくなる可能性があります。図書館のOPACのほとんどはAPIが用意されていないので、スクレイピングで情報を取得する必要があります。カーリルはこうした面倒くさいスクレイピングの作業を大量に行っているという点で「えらい」と個人的には思います。
*7:この点から、逮捕・勾留というLibraback氏の受けた損害について第一義的責任は警察・検察にあると私は考えます。しかし、このことは図書館の責任を免責するものではありません。
*8:図書館内の現行犯の犯罪行為をはじめ、被害届の提出一般に慎重であるべきと主張しているわけではありません。
*9:カーリルは岡崎市立図書館をサポートしているのですが、これは申し出ているのでしょうか? 岡崎市はカーリルについてどのように考えているのでしょうか?→http://twitter.com/ryuuji_y/status/21759342915
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2010年08月22日

「選手宣誓」が見つからない・・・

今年の甲子園も決勝戦が終わり、沖縄・興南高校の春夏連覇で幕を閉じました。
今年はなんとなく、大きな点差のある試合が多かった気がします。
2回戦の早稲田実業−中京大中京はなんと21−6、決勝戦も13−1の大差でした。
(私の出身地・長野県代表の松本工業も、大会初日第一試合で、14−1で敗けています)

甲子園というと選手宣誓が連想されるのですが、数日前、図書館のカウンターで中年の女性から質問を受けました。
「選手宣誓の文例が載っている本はありませんか?」
話を伺うと、子ども会の仕事で宣誓文を作らないといけないとのこと。
質問を聞いて反射的に、資料がないかも??と思いました。

お待ちいただいて、7門、3門、8門と資料を当ってみましたが、案の定見当たらず、答えに窮しました。
事務室に残っている同僚に声をかけると、「小学校の運動会運営の資料に載っているかも知れない」と探してくれたのですが見つかりませんでした。
『宣誓。私たち選手一同は・・・・』という典型的な例はすぐに頭に浮かぶのですが、図書館員が典拠なしで答えるわけにもいかず、残念ながら資料がないとお答えしました。

「自宅でネットは検索した」とおっしゃったのでインターネットは使わなかったのですが、気になって後から調べてみました。
いくつかヒットします。レファレンス共同DBにも、茨城県立図書館の回答事例が載っていました。

大会で選手が宣誓するのは、たぶんオリンピックから来ているのでしょう。
「オリンピック宣誓」の文章が掲載された資料は図書館にもありましたが、選手宣誓の文例になるかというとちょっと微妙です。
誰でも知っていそうなことをあらためて質問されると、文献資料がないことはよくあります。
こんなときはネットの質問サイトのほうが役に立ったりしますが、ちょっと悔しい気がするのはなぜでしょうか?

甲子園が終わると夏も終わりに近づいた気がします。秋が待ち遠しいです。

(寅)
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2010年07月02日

オシム→岡田ジャパンがW杯ベスト16まで行きました。

オシム→岡田ジャパンがW杯ベスト16まで行きました。
この件について、今言わなくて、いつ言うのでしょうか!?

オシム→岡田ジャパンはどんな目標を掲げたか?
誰もが(自分も含めて)バカにしたベスト4ですね。

じゃ、オシム→岡田ジャパンはW杯を目指すにあたってどんな目的を掲げたか?
日本人の勤勉性、敏捷性を活かしたサッカーをする、と言ってたような気がする。

岡田監督はベスト16どまりで「もう1試合させてやりたかった」「世界を驚かすのではなく、勝って驚かせたかった」と言いました。

自分(たち)はこの言葉に泣きます。
なぜ?
パラグアイ戦の、あの下手くそなボール運びを見ていても、日本人の勤勉性をそこかしこに見て取ることができたからです。

目的を達成するために、W杯直前に岡田監督はプライドをかなぐり捨てたような決断をしました。
「日本人の敏捷性」を活かしたパスサッカーではなく、引いて守り、集団でボールを奪い、カウンターアタックをかける、とても泥臭いサッカーです。

でも、パラグアイ戦の後半も半ばを過ぎて、岡田監督は阿部勇樹に代えて中村憲剛を投入します。

そのとき、監督は勝利を手に取るため、それまでの引いて守るサッカーではなく、80分近くの疲労をものともしない「日本人の勤勉性、敏捷性」を再提示したのでした。

牽強付会ですが、自分の職場でもある図書館というところの目的、存在理由は何か?
自分なりに言えば、一人ひとりが自分の頭で考えることを習慣づけ、より住みやすい社会を築いていくことをサポートする公の施設、ということでしょう。

その目的をかなえるために、昭和40年代からこのかた図書館では貸出しという手段をとってきた。
今、スポーツ新聞でも図書館の便利さが喧伝されるようになって最初の目標は達成されたとも言えるし、イギリスなんかに比べればまだまだ、とも言える。

で、サッカーの話に戻ると、目的さえ見失えずにいられれば、目標や手段はときに応じて変えていい、否、変えるべきだ、と言っては言い過ぎでしょうか?

課題解決支援と貸出しの間をふらふらしてもいいし、土地の事情によっては思い切りひとつの手段を採用してもいい。
目的さえ見失うことなければ。

オシム→岡田ジャパンに共鳴したこの気持ちを、図書館のビジョン(目的、存在理由)づくりに活かしたいと思う今日このごろです。

(H.A.)
posted by 発行人 at 00:20 | Comment(1) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

2010年06月07日

弟の入院で気づいたこと

病院に長期入院のお年寄りが増え、病院がタイプによって分けられ入院期間が短縮されて大分経つ。
父のときはまだ大丈夫だったのだが、7年前の母の晩年にはこの制度に引っかかるようになり、2度転院した。
この制度は患者と家族が振り回され。不安に陥れられる制度であると思っていた。
しかし、それだけではなかった。

今、弟が倒れ入院している。
救急搬送された地域拠点病院は救急ということもあり、入院の目安は2週間。
この期間中に口から食事をとれるようになることは難しいと判断され、その後の受け入れ先の選択肢が広がるとのことで胃瘻の手術に同意した。
鼻からのチューブでの食事は医療行為となり、介護施設では受け入れてもらえないのだ。

しかし、胃瘻の手術のトラブルで結局1ヵ月半の入院となった。
もし、入院期間が2週間などと短く限られていなかったら、胃瘻の手術はせずにすんだ可能性が高かったろうし、トラブルにあうこともなかったと思っている。

その病院からリハビリ病院に転院することが決まったとき、相手先の都合から、日を置かずの転院となり、救急病院側の医療スタッフは名残惜しがった。
1ヵ月半も入院していたので、回復の様子を見、リハビリの効果などを見て、彼らなりのリハビリ案と回復の期待があったのだ。
救命後、患者がどの程度回復するか、彼らには自分たちの果たしてきた仕事のその後を知ることはないのだ、ということに気づかされた。

昔々のように重篤な事態でなければ転院しなくてすむ状況だったら、たとえ救急のスタッフといえども一般病棟に移った患者の様子を知ることは、転院先の患者の様子を知るよりはずっと容易だったろう。

自分の仕事の結果がわからないというのは、さびしいことではないのか、むなしくなったりしないのか。
仕事って目先の問題の処理だけじゃないんじゃないか。
医療従事者としてのやりがい、仕事へのモチベーションを維持し高めていくのに、患者の回復というのは大きな役割を果たすんじゃないのか。

入院前には海堂尊の小説など読んでいたこともあり、医療制度のあり方と医療従事者の置かれた状況について考えさせられた。

今、図書館には、業務委託や指定管理者制度の導入で、自治体の職員ではない人たちが大勢働いている。
彼らの仕事もさまざまに分断され、図書館業務全体を見通すことができない。
また、医療従事者が医師、看護師、介護福祉士など男女入り混じっている状況に比べ、図書館は圧倒的に女性の職場になっている。
医療現場も図書館も何か本質的な大事なものがないがしろにされて、働く人やその利用者が置き去りにされているのではないだろうか。

リハビリ病院は入院の目安6ヶ月。
回復状況でその後の行き先が決まる。

(川越峰子)
posted by 発行人 at 10:00 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

「非正規職員」ということば

今や図書館職員総数の6割以上を占める非正規職員の問題を考える時、いつも議論になるのが「非正規」ということばの是非である。
「非正規」があるからには、当然「正規」の存在が前提となっている。

では「正規職員」とはなにか。
無期(終身)雇用で、その多くがフルタイム(週40時間)を基本として働く職員である。
したがって「非正規」は、それにあてはまらない有期雇用で、パートタイムで働く職員ということになる。

しかし、指定管理者や委託で働く職員の中には、有期雇用でも、フルタイムの職員も大勢いて、これも「非正規」職員であることに変わりはない。
有期雇用職員、無期雇用職員、フルタイム職員、パートタイム職員といえばいいところを、正規、非正規という言葉を使ってしまうのは、終身雇用、フルタイムで働くことが、正しい働き方であって、そうでないのは正しくない働き方であるという意識が、政府、自治体、市民、そして働く側にも未だ広くかつ根強く存在しているからではないだろうか。

非正規職員の多くが、無期かつフルタイムの雇用を望もうとも、現実の正規職員制度の壁はあまりにも厚い。
大体30代、40代になってから、正規職員になりうる道はほとんどない。

かつてある地方の市で司書募集をするから、非正規職員の集まりで声をかけてくれと頼まれたが、よく見ると応募年齢は27歳までとなっており、ほとんど対象になる年齢の人がいなかったということもあった。
終身雇用を前提とする制度の中で、そこからはみ出たものは、賃金、雇用期間など著しく差別された闇労働(非正規雇用)の中で働くしかないのが現状である。

では解決策は?
みな正規職員にしてしまえばいい。というのが一つである。

平均年収800万円の正規職員5人と200万円の非正規職員が5人いる図書館があった場合、現在の人件費は5000万円。
全員正規にして800万円にしたら、人件費は8000万円。
それでは自治体経営がなりたたない。

ならば、公務員制度を大改革して全部ならし、正規は300万円下げ、非正規は300万円上げて、全員500万円にしてしまえばいい。
広島電鉄型解決策である。
実施するにあたっての最大の問題は、正規職員が賃下げを飲むかどうかであろう。

しかし、フルタイム労働を望まない人も多くいるし、現実の開館時間の拡大が相当フレキシブルな勤務体制を必要ともしている。
週80時間開館しているなら、40時間勤務の館長が2人いてもいいぐらいである(昔の北町奉行、南町奉行みたいに)。
フルタイム、パートタイムにかかわらず、弾力的な働き方が必要とされているのである。

そう考えると望ましいのは、終身雇用以外はすべて認めないというのではなく、色々な働き方を平等に認めることではないか。
そして同一価値労働同一賃金の原則に基づいて、どのような働き方であっても、同じ仕事に対しては、同じ賃金が支払われなくてはならない。

そうなれば、長期間継続しない仕事であることを理由に(実際は継続している)首を切られる非常勤の雇用止めはなくなり、無期の短時間公務員になるだろうし、職務給型のフルタイム職員も生まれるかもしれない。
また民間職員にも同じ給料を保障することになれば、民営化による人件費コスト削減も不可能になり、民営化自体よほど合理性がないかぎり進まないであろう。

さて、話が大展開してしまったが、もとに戻りたい。
「非正規」は「正規」しか認めないという考えに基づいた差別的なことばであることに違いは無い。
しかし現実に雇用にしろ給料にしろ、大幅な差別がある以上、むしろその問題を含んだことばとして使われるべきであると思う。
有期雇用職員やパート職員といっても言い換えに過ぎず、問題が見えなくなるだけで無くなったわけではない。

そして本当に差別がなくなり平等が達成された時、「正規」も「非正規」も死語になっていくのではないか。
かつてそんな考え方があったこと自体が、滑稽に思われるような時が来ることを望みたいものである。

(東京支部 小形亮)
posted by 発行人 at 09:34 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

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