図書館は、読書というものに良い価値を前提として置いているところがある。しかし、すべての読書が良い価値があるかどうかは、証明されているわけではない。
良い本を読めば、その読書には良い価値があるという、一見、わかりやすい話もあるが、ある人にとって良い本が他の人にとっても良い本であるとは限らない。そこまで客観的に、本の良し悪しを言うのは難しい。
ただし、たとえば、経済学をやっている人なら、アダム・スミスの
国富論(諸国民の富)くらい読みなさいとか、宗教学をやっているなら、
エリアーデの本のいくつかくらいは読みなさいとか、そういうことは言える。
つまり、何らかの目的を持っていれば、読書というものは、非常にわかりやすいものになる。
読書というのは、手段であって、目的ではない。いくら本好きでも、一生、ただひたすら本ばかり読んでいる人生だったら、楽しいだろうか?
それから、たとえそうしたって、人一人が一生に読める本の量などたかが知れている。
芥川龍之介も
「侏儒の言葉」か「ある阿呆の一生」かどちらか忘れたが、そういうことを言っている。
ショーペンハウエルも「
読書について」で、無秩序な読書は、黒板に落書きしているようなものだというようなことを確か言っていたような気がするが、もう一度読み直してみないと確認できない。
ともかく、そうなると、読書をしない人というのは、次の五通りだと思う。
まず、第一に、これと言って目的のない人。
第二に、目的はあるが、手段としての読書に有効性を認めていない人。
第三に、読書する能力に欠ける人。
第四に、読書する時間がない人。
第五に、本屋も図書館もインターネットもない人。
第一の人は、それでも、目的を持てば読むようになるかもしれない。
また、はっきりとした目的を持たなくても、読書そのものの面白さ・楽しさを知れば読むようになるだろう。
それは、無駄なようでも、何かの局面で役に立ってくる時がある。
こういう人たちには、何らかの働きかけをすれば、すぐ本を読むようになるかもしれない。
一番多いのは、たぶん、第四の人だろう。言い訳にも聞こえるが、実際、読んだり書いたりというのは、思いのほか、時間がかかる。
受験勉強としての暗記をしなければならない人だとか、仕事が残業だらけの人だとかには、無理であるのも仕方がない。
しかし、暗記だけの勉強など本当の勉強ではないし、いくら残業をしたって、何も読んだり調べたりしない仕事というのは、まったく創造性に欠け、非知的な仕事である。
こういう人は、一日のうちにわずかでいいから、読書の時間をつくることが必要である。通勤・通学の電車・バスの中とか昼休みが一番良い。
第三の人はやっかいだが、それでも、どうにかすることはできる。
私たちが英語を勉強するように丁寧に国語である日本語を学習していけば、その文章の読解力はついてくる。
しかし、これも、悪い英語の勉強の見本である単語の丸暗記のようなことをしていたら、効果は上がらない。
言葉の意味は、文脈によるので、
英語の文章でも易しい文章をたくさん読んだり、映画などを見たりすることを薦められるように、日本語でも自分がわかる程度の本をたくさん、いろいろな分野のものを読むことが効果がある。
図書館は、その意味で格好の場だろう。
最もやっかいなのは、第二の人だ。
この人たちの中には、信念で読書など役に立たないと思っている人がいる。そういう人でもたまには成功している人もいるのでやっかいだ。
ただ、その成功は、相当強引な手段とか、知恵というより狡知によるものなどだったりする。いつ失墜するかわからない類である。
まず、こういう人たちは、自動販売機のように押せば出てくる便利な知恵などないことを悟るべきである。
読書や調べものの効用、図書館の効用をいくら言ったって、押せばポンと出るシロモノではない。そもそも、そんな虎の巻があったら、とっくにみんなが飛びついているはずである。
読む → 考える → やってみる → 結果をみて考え直す → 読むというサイクルを踏まなければ、どうにもならない。
読書というのは、plan, do, seeのplanとseeに深く関わる。この構造を良く知ってもらうしかないだろう。
ところで、残念なことだが、自治体はplan, do, seeやplan, do, check, actの中に読書や調査というものを位置づけているだろうか?
どうも怪しい。そもそも、そこまで読書や調査を重視していれば、こんなにも、先進国中、恥ずかしいほど、図書館を軽視することはないだろう。
だから、提案したい。PDSないしPDCAサイクルにもうひとつ加えて、read(research), plan, do, seeとしたらどうだろうか?
ところで、第五の状況のところは、びっくりすることに今の日本でもある。
インターネットがないというのは大げさかもしれないが、ブロードバンドが整備されていないところはまだあるのである。いまどき、ブロードバンドなしでインターネットは苦痛である。
こういうところにはぜひとも図書館を建てるべきである。それも、ブロードバンドより先に。
そもそも、このような状況では、文字はあっても本はないという世界であり、はなはだ無文字社会に近い。
無文字社会は文字がない分、恐ろしい記憶力の長老やシャーマンがいるからいいが、なまじ文字がある社会で本だけないというのは恐ろしい状況である。
地域まるごと差別されていると言ってよい。文明が文字社会化して差別が進行したのはこういう事情にある。
本がない状況なら、読書を知らない世界と言ってよく、ブロードバンドが整備されたところで、オンライン書店で本を買ったりしないだろう。
自治体が無理なら、都道府県や国が後押ししてでも建てるべきである。
それもやる気がないなら、発展途上国なみというしかないが、そういう実態である。悲しいことだ。
(S.Y.)