◆現実の「図書館戦争」?
私の働く図書館でも、中高生の職場体験を受け入れています。今年の職場体験で図書館を選んだ理由として、『図書館戦争』(有川浩/著,メディアワークス発行)を読んで興味を持ったから、という子がいました。ベストセラーであり、アニメ化もされた有川浩さんの『図書館戦争』の影響を実感したところでした。
(アニメの公式サイト:
http://www.toshokan-sensou.com/)
『図書館戦争』は仮想の世界が舞台で、検閲を行うメディア良化委員会と図書館の間で、検閲対象となった資料をめぐって銃撃戦まで行われています。読者はこの作品をSFやライトノベルとして受け取っていると思います。たしかに、現実の図書館員は資料を守るために銃器を手にしてたたかったりはしません。しかし、別のやり方で「図書館戦争」がたたかわれてきたと聞いたらどう思いますか?
◆「図書館の自由に関する宣言」
『図書館戦争』の冒頭には、「図書館の自由に関する宣言」が掲載されています。「図書館の自由に関する宣言」は、有川浩さんの創作ではなく現実に存在します。日本図書館協会で採択されたこの宣言は、図書館業界では略して「自由宣言」と呼ばれています。
図書館の自由に関する宣言 1979年改訂(日本図書館協会)
図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。
この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。
第1 図書館は資料収集の自由を有する
第2 図書館は資料提供の自由を有する
第3 図書館は利用者の秘密を守る
第4 図書館はすべての検閲に反対する
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/ziyuu.htm
「図書館の自由」と聞くと、図書館が自由にしてもよいことを決めた宣言だと誤解されることがあります。アメリカにも同様の「図書館の権利宣言(
Library Bill of Rights)」がありますが、これは基本的人権を定めた「権利章典(
Bill of Rights)」に対応したもので、人民の図書館への権利(を守るための図書館の権利)という意味が込められています。
日本の「自由宣言」も、国民の知る「自由」を守るために図書館が持つ「自由」を規定したもので、図書館の自由とは国民の知る自由でもあります。
◆国立国会図書館の利用制限事件
「自由宣言」は抽象的に原則が書かれていますから、読んでも「ふーん」と思うだけかもしれません。しかしこれを実践することはかなり大変です。
最近起こった事例を見てみましょう。
米兵事件資料を一転非公開 法務省要請受け国会図書館 (8月12日 共同通信)
米兵が起こした事件の処理について、重要事件以外では事実上の裁判権放棄を指示した1953年の通達を掲載した法務省資料をめぐり、同省が5月下旬に「米国との信頼関係に支障を及ぼす恐れがある」として、所蔵する国会図書館に閲覧禁止を要請、6月上旬に図書館の目録から資料が削除されていたことが11日、分かった。(以下、略)
http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081101000935.html
この事件は報道もされましたので、ご存知の方も多いかもしれません。その後、ジャーナリストの斎藤貴男さんが国立国会図書館を相手に閲覧禁止措置の解除を求めて裁判を起こすことを表明したことも報道されました。
日本図書館協会と、私たち図書館問題研究会はこの件での国立国会図書館の対応を「自由宣言」に反したものとして、閲覧禁止措置の解除を求めています。
図書館問題研究会の要請
http://www.jca.apc.org/tomonken/kokkaitosyokanyousei.html 日本図書館協会の要請(PDF)
http://www.jla.or.jp/kenkai/20080910.pdf 今回の事件は、簡単に言えばある資料を利用者に見せないようにという要求であり、これは「自由宣言」の第2の資料提供の自由への圧力にあたります。
こうした圧力には様々な形があります。今回のように、行政府からこの資料は公開して欲しくないと言われることもあれば、利用者の方からこんな◯◯(不快・破廉恥・子どもの教育に良くない・公序良俗に反する・偏っている……)な本を図書館に置くなんて問題だ、と言われることもあります。
図書館は知る権利・知る自由のために存在する機関なので、原則的には資料の提供を制限することはありません。ただし、『部落地名総鑑』のように公開が特定の人物への人権侵害に直接的に結び付く資料については制限をかけることもあります。
図書館の自由に関する歴史は、こうした圧力と図書館の自主規制の歴史でもあり、資料の利用制限は極めて慎重に検討されなければなりません。
この事件を複雑にしているのは、問題の資料が非公刊資料(一般に市販・頒布され広く流通したものではない)だということです。公刊資料であれば、要請があっても国立国会図書館は制限しなかったでしょう。
ごくプライベートな記録のようなものが、本人の意思に反して図書館の資料となった場合など、図書館が発行者の意向に配慮して資料の収集や提供について制限をすることはありえます。
しかし、内容が公共的なものになればなるほど公開の必要性は高まります。発行者が利用制限・回収の意向を示したとしても、その内容・頒布形態・要請の合理性などに基づいて図書館は自主的に資料の提供について判断するべきです。それこそが図書館が国民の知的自由を守る機関として「資料収集の自由」と「資料提供の自由」を持つ意義でもあります。
今回問題となった資料は、米兵が日本で起こした事件の裁判権という大きな政治的問題を扱っています。これは、国民の政治判断の材料にもなるような重要な情報です。
アメリカでは図書館は「民主主義の武器庫」ともいわれています。多様な情報が主権者の間で共有されることは、民主主義が成立する前提条件です。図書館は(経済的条件によらない)情報の提供という、民主主義社会にとって重要な機能を担っているのです。
◆「自由宣言」は勇ましいけれど、実態は……
「自由宣言」は「あくまで自由を守る」とうたっています。しかしこの勇ましい文言の実践を難しくしているのは、図書館が行政組織の中でそれほど独立した基盤を持っていないことです。人事も予算も独立した権限を持っておらず、専門家(司書)の館長は少数派です。
こういった状況で、「役所の論理」と「図書館の論理」がくい違った時、図書館が行政府や教育委員会に対して毅然として資料の利用制限を拒絶することはなかなか大変なことなのです(国立国会図書館は少なくとも立法府に所属していますから、その点で普通の公立図書館に比べれば独立性は高いはず、ということも今回の件では批判されました)。
また「自由宣言」は日本図書館協会が採択したもので、図書館業界ではこの宣言を実践していこうという合意がありますが、法的な強制力を持つものではありません。
しかし、こうしたことは利用者(住民)にとっては所詮役所の内部事情に過ぎません。図書館が国民の知的自由を守る、というのであれば、図書館員はこの自由宣言に沿って最大限努力しなければなりません。制度的基盤(独立性)がなくても、職業的矜持で持ちこたえるしかありません。
難しい問題がある時に私が考えることは、全国の、そして他の国の図書館員に顔向けできないな、ということです(もちろん利用者の皆さんに顔向けできないというのは大前提)。世界各地で図書館員は日々知的自由のために頑張っています。図書館員であるということは、職業的矜持を持って働く世界の図書館員共同体の一員であるということでもあります。
奇しくも『図書館戦争』のメディア良化委員会は法務省の管轄する組織でした。現実の図書館も簡単に圧力に負けてしまうのではなく、「あくまで自由を守る」ために現実の図書館戦争をたたかい抜かねばなりません。私は『図書館戦争』の主人公のような熱血バカではありませんので、あんなにバイタリティはないのですが、できる範囲で図書館員同士や、住民の皆さんと協力しながらぼちぼちたたかっていきたいと思っています。
◆おすすめ図書
ナット・ヘントフ『
誰だハックにいちゃもんつけるのは』集英社(コバルト文庫)
アメリカの学校図書館で『
ハックルベリー・フィンの冒険』への利用制限とたたかう学校司書のおはなし。
「誰かを傷つけない本なんか、一冊だってないんです。図書館中、捜してごらんなさい」という司書の台詞は、名言。
有川浩『
図書館戦争』シリーズ メディアワークス
自由宣言と図書館の自由の問題を世間(含ヤングアダルト)に知らしめた功績は大きい。
日本図書館協会図書館の自由委員会『
「図書館の自由に関する宣言 1979年改訂」解説』日本図書館協会
公式解説本です。
(静岡支部 新)