2009年03月09日

図書館学学はもうやめよう

 図書館関係の本は、意外とたくさん出版されている。しかし、私はどうもあまり読む気になれない。正直言って、つまらないからだ。
 なぜ、つまらないかというと、一言で言うと、図書館学でなくて図書館学学になってしまっているからだ。図書館について学ぶのではなく、図書館学を学ぶということになってしまっている。
 たぶん、図書館問題研究会の出発点もこういうところにあるのだろう。図書館学学からの脱出である。

 現実の社会の在りようをとらえ、そこからサービスを構築しなければ、図書館は役に立つものにならない。図書館が相手にしているのは、現実の人間社会であって、物質ではない。
 確かに、ヒトという生命体も物質から構成されているため、社会とか文化とか精神とか言ったところで、その本体は物質であるという議論はよくなされるところである。
 しかし、このような議論は、文字と言ったところで、その本体はインクの染みであると言うようなもので、それこそ意味をなさない。
 文字の本質は、やはり意味である。だから、その本質としての意味は保たれたまま、文字が変わるということはよくある話である。そもそも、日本語自体、独自の文字を持っているわけではなく、漢字やそれを改造した仮名を使っているだけだ。

 図書館学も図書館の意味を問わなければならない。そして、その問いは難しいけれども、シンプルだ。つまり、結局、次の2つが大本だと思う。

1 図書館はなぜ必要なのか? そして、必要とされる図書館とはどのようなものなのか?
2 図書館はなにを目指すのか? そして、なぜ、それを目指すのか?

 文章上2つになっているが、概念としては1つのものである。
 どうしても必要とされる社会の中のある特定の、しかし、同時に普遍的な仕組みを「図書館」と呼び、そのようにして「図書館」と呼んでいるのだから、それは、当然、必要であり、そのような必要な仕組みを実現した状態が当然、目指すものとなる。そして、その成果はその仕組みによってもたらされるものである。
 ただし、これは、図書館のイデアのようなものを言っているのではない。現実の社会は変化するものであり、そのときに必要とされる仕組みとしての図書館もまた変化するものだからである。
 だから、図書館学は図書館の中から出発するのではなく、図書館の外から出発しなければならない。社会の中から図書館要求を抽出して構成することが必要なのである。これが本来の図書館学だと思う。

 さて、この社会の中の図書館要求だが、地域・コミュニティによって大幅に違う。21世紀と言っても、裸族だって存在しているわけである。無文字社会の図書館要求は長老とかシャーマンとかの人間情報媒体によって実現されているわけだが、実は、文字社会の中にもたくさんの長老やシャーマンがいる。文字社会においても、すべてが文字で書かれているわけではないのである。
 図書館は文明のひとつの要素だが、その文明は非文明を内包しており、それも含めて、いわば、「図書館化」する営みが必要になってくるのである。だから、記録だとか出版だとかということと図書館は大いに関係があり、また、そもそも情報というものは読まれる(受容され理解される)ことによって初めて意味が成立し、知識も形成されるわけだから、その提供のあり方と下準備は重大な関心事になるのである。
 今まで、ここらへんが貸出しとか、分類・目録とか、情報検索とか、レファレンスとかそういう範囲で語られていたわけだが、図書館というものが文明の制度的一要素である限り、その、政治及び経済的位置づけというものは確立しなければならないわけである。そして、それは、権力的・抑圧的機構ではなく、個人の人権保障機構でなければならないのである。基本的には情報アクセス権の問題だが、それが学習権や知る自由も構成するのである。
 ここが図書館という仕組みの普遍的部分である。だから、その普遍性の基礎は、人間性(ヒューマニティー)の普遍性に依拠していて、その意味で、確かに、非常に近代的である。
 それで重要なのは、この普遍性については、精緻な裏づけが必要であるため、その検証ということが挙げられる。一方で、そのような普遍性を前提にした上で、現代の図書館という仕組みに何が社会から求められているかを分析し、それを綜合して、具体的なサービスを構想し実現することである。
 こういう図書館学自体の整理・再編がないと、なかなか展望もないと思う。
(S.Y.)


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2009年03月01日

「ハマの図書館」は進化する有機体か?

 2月25日、横浜市山内図書館に指定管理者制度を導入するための条例一部「改正」議案が横浜市会で、「附帯意見を付し、原案可決」となった。
 190名の司書を抱える横浜市の図書館は高レベルのサービスで定評がある。専門職としての司書の補充も毎年着実に行われ、年齢別構成のバランスもいい。
 なぜこのような図書館に指定管理者を入れなければならないのか? 素朴な疑問を抱き、導入の是非を問う活動に関わった。
 残念な結果を前にして、今思うところを記録しておきたい。

 当局は徹頭徹尾、市民への情報公開を避けていた。
 ハードもソフトも、当局職員でさえ市民の税金で運営管理される公立の図書館でありながら、当局にとっての「市民」は、自ら選出した「横浜市の図書館のあり方を考える懇談会」委員と横浜市教育委員会委員、そして横浜市会議員のみであったというほかない。
 説明会もパブリックコメントも行われず、公開質問状にも誠意ある回答をしなかった。
 市民に残された手段は教育委員会、市会への陳情書・請願書提出やロビー活動だけであったが、そのいずれからも市民が納得できる説明は最後まで得られなかった。
 知る権利を守り支援する要であるはずの当局が、市民に背を向け、市民の知る権利を阻んでいることのおかしさと悲しさ。

 以下、2年半におよぶ市民の活動を列記する。
・横浜市全域での集会を開催(計10回)
・2万筆の署名を市長、教育委員長に提出
・シール投票による市民への周知度調査(2回)
・指定管理者として図書館を受注している複数企業の管理職や司書スタッフにヒアリング
・延べ100名を超える全会派市議、県議、国会議員へのロビー活動
・総務省、文科省など担当省庁への交渉
・2度にわたる公開質問状の提出
市民が描く図書館のグランドデザイン(「私たちの図書館政策」)の提出
・絶え間ないプレスリリース
・ITを駆使した各方面への情報発信と情報交流

 条例「改正」はされたが、厳しい附帯意見がもりこまれた。市民にとって、唯一手にすることのできた成果物である。
 一方、業務水準書や第三者評価委員会など、注視すべき事項は山積している。
 これまで同様、当局が情報公開に消極的であることが予想されるなか、市民はさらに知恵をしぼらなくてはいけない。活動することで自らの学びを深め、活動で得られた様々な連携の拡充を進めていきたい。
 図書館はなぜ自治体に必要不可欠なのか。その存在意義を共有すべく何度でも、諦めずに、各方面に積極的に働きかけていこう。図書館の未来を拓くための、それが最も確かで早い道筋だと思うから。
 ハマの図書館はそれだけの力を内在し、自ずから変化・進化していくことのできる有機体であると信じている。
(C.A.)
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2009年02月23日

自分史と公立図書館

 最近、自分史を書く人が多くなり、それを図書館に寄贈する人が増えているという。
 私の兄も自分史を出して、東京周辺と戦時中徴用で行った岡山の図書館などに寄贈した。兄は昭和2(1927)年生まれであるので、戦中戦後が青春時代だったのである。
 第2次世界大戦という未曾有の混乱した時代を少年から青年の目で見、体験した経験はまさに庶民の歴史である。

 ただ、図書館は寄贈資料に対しては甚だ冷淡である。目録データのないものは受け入れないという図書館もあると聞く。
 あの苦しい時代を子や孫に語り伝えたいという素朴な思いで書いた人から、昭和の歴史を書こうという人までいろいろいると思うが、公立図書館がこれらの歴史資料を集め、後世に引き継いで行くことは大事なことだと思う。
 天皇や高官・作家などの日記なども大事な資料だろうが、公刊されたものだけでなく、雅拙な生々しい文章の私家本は一級の資料と言えよう。
 ビジネス支援や医療支援などのトレンドな要求にばかり目を奪われることなく、100年先の資料構築を考えた運営も必要かと思う。

(東京支部 大澤正雄)
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2009年02月16日

インフルエンザにかかった...

 インフルエンザ(A型)にかかってしまった。
 予防接種も予防のマスクもしていなかった。ひょっとしたらカウンターで利用者とおしゃべりをしていて、もらってしまったかもしれない。
 6日ほど仕事を休む。発熱(高熱)は2日ほどだったが、ウイルスはまだ体内にいるので、タミフルを服用し5日ほど自宅で安静にしていなければ他の人にうつしてしまうと医師に言われ、それに仕方なく従う。

 インフルエンザ休みの間に、考えたのは「新型インフルエンザ」が流行したら図書館はどうするのかということ。
 不特定多数の人が来館し年齢層もさまざま。感染を拡大させてしまう可能性はじゅうぶんにある。
 また、流行がひとたびはじまれば、職員が感染してしまい館の運営も立ち行かなくなるかもしれない。
 もしくは、役所の危機管理対応に補充されることも考えられる。利用者も激減するだろう。そして、閉館もやむを得なくなってくる。
 本来ならどんな時でも図書館は開館し、住民生活や社会的な活動に対して情報を提供してゆくことが求められるが、今回のような「見えざる敵」の場合はそれを適用することは難しい。

 今、私たちができることは何かを、インフルエンザ流行のこの時期に考えるのはとても良いチャンスだと思っている。
 新型インフルエンザの予防は? 情報収集は? 職員体制は? 閉館するのか? 閉館時の利用者に対する情報提供は? 等々、たくさんの「?」を今のうちに出して、答えを見つけておきたい。

 インフルエンザは予防が肝心。
 念入りな手洗い、うがい、マスク着用、ワクチン接種、体調管理を心がけ、インフルエンザにかからない、うつさない。
 風邪やインフルエンザの流行はこれから本番、みなさんもご注意を。
(N.T.)
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2009年02月09日

不得手を克服したい(その2・話す)

 何を隠そう、たくさんの人前で話すことが大の苦手であり苦痛です。特に、自分の考えを人前で話す行為は意識がかなり遠くなります。
 この「あがり症」で記憶があるのは30年以上前の小学1年生のとき。授業時間に先生に指された瞬間に赤面、声は震え(周りからは泣きそうに写っていた様子)、フリーズ状態。自分で言うのもなんですが美白でした。しかし、男子にとって日焼けは健康の象徴であり、美白よりも小麦色に憧れ、やけどになるくらい焼いたのに、すぐに白くなりよく馬鹿にされたものでした。なぜか、帰りの会では「人をからかってはいけない」という議題の常連でした(笑)。

 次は2年生の国語の時間。例によって先生に指され、クラクラしながらもやっとの思いで息を整えながらなんとか読み終えると、先生から意外な一言。「句読点をきちんと区切って読んでいたので聞きやすかった。はい、その調子で、次○○さん」
 褒められたおかげか、人間が単純なせいか、それからは答えが決まっているものを述べる分には、声が少し震える程度までに強くなることができました。

 しかし困ったことに、小学5年生あたりから何かしらの委員会に所属しなければなりません。人の忘れ物をチェックする生活委員はなじめず、クラス委員長をやれるほど器もないし、憧れはあっても人前でペラペラと話す放送委員は絶対に無理。ぐるぐると考えが駆け巡った末に図書委員を担当。しかし、この選択がまずかった。
 6年生の時、小学校の統廃合で北と南に小学校は分かれ、児童数が少なくなったおかげで人材不足。その結果、なぜか図書委員長に(涙)。
 朝礼・お昼の校内放送では全校児童を相手に、図書室の利用のお願いやらなんだりかんだり、目まいを起こしながらマイクの前に立ちました。原稿が緊張で見えなくなることはもちろん、しまいには貧血で天地が逆になることもしばしばでした。
 やっと開放されたと思いきや、まさかの中学生で図書委員長に返り咲き。半ベソかきながら先生や委員メンバーにいかに不適かを訴えました(ダチョウ倶楽部状態)。普段の活動は楽しかったのですが、全生徒の前で話すのはやっぱりどうにもこうにもダメでした。

 思い返してみれば、人前で話すことへの練習不足だったのかなあと思います。今は人前で話す緊張より、人にきちんと伝えたい、伝わってほしいという願いから来る緊張が多いようです。
 そのひとつとして、1月から始まった職員による民間委託の検討委員会や3月に行う市民へのアンケート、4月には市民との意見交換会と予定されているのですが、「自分たちがやらなきゃ誰がやる」と自分に問いかけながら、パソコンに向かって書いては消しを繰り返しつつ(猫が毛糸で遊んでいるうちにもつれた状態)ぐちゃぐちゃやっています。この緊張、分かっていただけます?
(Y.K.)
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2009年01月27日

図書館クイズ

 私の住む自治体では、小学3年生の4月から6月にかけて、図書館見学に行く学校が多いのですが、そうなると(学校側は一度でいいが)図書館の担当者は毎日のように約1時間半の見学を行うことになります。この時期、カレンダーは真っ黒です(>_<;
 見学の最後には、図書館クイズをしてご満足いただきます。
 題して「図書館って、どんなとこ?」

・こども室の本は○才から借りられます。
・図書館は○○で利用できます。
・だれがどんな本をかりているかは、本人以外の人には○○○です。
・としょかんの人は、本を○たり、○○したり、みんながひつような本を○○すのを手伝うのが仕事です。
・こども室のお知らせは○○○○○○にでています。
・このとしょかんにこられない人は○○や○○や○○○バスを利用できます(身体に障がいのある人は郵便で本をかりることができます)。
・としょかんには、本をしまっておく場所(○○)があります。

などというクイズをしながら、少しずつ「図書館の自由」に関わることにも触れておきます。さらに「図書館は一生利用できます」というと「おおおお!!」というどよめきのようなものもおこるのですねぇ。
 ストレートに「死ぬまで?」「死ぬまで借りられるの?」と尋ねられることもあります。こどもには「死ぬまで」=「永久」なのかもしれないな。

 無料で一生、秘密厳守… 図書館では当たり前のことが、こどもの心に響いていました。
 変えたくない原則です。
(A.M.)
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2009年01月19日

Open the window! 空気を読むより空気を変えろ!

 私が大嫌いな言葉として「空気読め!」という言葉があります。空気を読めない人をKYというのは、相当時代遅れの人を除けば、もうみんな知っていますが、いやな言葉です。これは、新しい言葉ではなくて、いかにも日本人的な不和雷同体質です。
 私に言わせれば、時代の空気を読んだからこそ日中戦争、太平洋戦争にも突入したのだと思います。空気を読むことほど悪いことはありません。
 図書館の世界では、業務委託や指定管理の流れに乗ることが空気を読むことのようになっています。しかし、本質的に必要なのは、澱んだ空気を読むことなどではなく、窓を開けて空気を換えることです。図書館の世界に新しい風を入れることです。

 「新しい風を入れる」とは具体的にどういうことなのでしょうか? 簡単に言うと、外部の人にいろいろ企画やサービスに関わってもらうということです。
 内部努力は意外なほど、図書館はしています。完全主義者の多い世界なので、まだ足りないと思っていらっしゃるのでしょうが、もう70点くらいは取れています。旧帝大系とかに進学するなら、70点じゃダメだと言うのでしょうが、そんなところまで目指さなくていいです。社会科で70点取れてても、理科や数学で30点では困るんです。
 外部の人と関わるには、通常業務というよりも、展示だとか行事だとかで関わってもらうのがやりやすいです。ただ、こういうのは、図書館の本来の仕事ではないという人も多いでしょう。確かに、本来の仕事ではありません。
 しかし、考えてほしいのですが、メーカーが、自分たちの本来の仕事はモノを作ることだからと言って、営業も宣伝も販売促進もしなかったらどうなるでしょうか? 潰れます。潰れればモノも作れなくなります。現実にこういう企業もあるわけです。
 今の図書館には、ここが足りないのです。

 図書館が行う展示や行事は利用のプロモーション活動なので、その際には、必ず本も紹介します。これがなかったら、他との差異はないでしょう。実際、このようなことを行うことによって、新規の図書館利用者(資料を利用する人という意味で)を獲得しています。
 皆さん、せめて、図書館の窓を開けるための営みを30点から、60点にしませんか? 60点なら、かろうじて及第点です。競争試験では落ちますが…
(S.Y.)
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2009年01月13日

今年もよろしくお願いします。

 あけましておめでとうございます。
 昨年は、いろいろな問題が起こり、図書館界は大変な一年でした。
 今年一年が、図書館界にとって良い年になりますように。

 今日が仕事始めでした。とりあえずは休館日なので、まずは返却ポストの本の返却です。
 年末年始はどこの館も返却ポストがあふれていませんか?
 我が図書館は、近くに住んでいる職員が休み中に2回ほど返却をしてくれています。(ありがたい)それでも、やはりたくさんの本が返ってきます。その中に、不明本が返っていたりすると、お年玉をもらった気分になります。
 また明日から日常が戻ってきます。明日が返却期限の人が多いので、一体どれだけ忙しいのやら。休みボケの身体にはこたえます。でも、休みの間中、毎日仕事の夢をみてはうなされ、周りの人に何で??と思われていたので、やっとゆっくり眠れるかも。もちろん初夢も、システムが動かなかったり、レファレンスで右往左往している夢でした・・・

 そんな私ですが、今年もよろしくお願いします。
(M.T.)
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2008年12月29日

「妥協」という前進について

 先日、あるテレビ番組で、平和構築学者の伊勢崎賢治氏が「平和を産業にしなければ」という主旨の発言をしていました。今や戦争が産業になっている現状を捉えて、正義としての平和を声高に訴えるだけでは理不尽な殺戮を止めることはできないと。
 多くの停戦合意を取り付けた背景には苦渋の「妥協」が数々あり、そこに正義を貫くことの価値や倫理は後退を余儀なくさせられる場面もあったと伊勢崎氏は語ります。
 正義を貫くことで対立は深まり、戦いも激化する。しかし、大事なのは「戦争を止めさせること」であり、そのために当事者が鞘を納めるに足る講和条件をいかに紡ぎ出せるかが最優先課題です。戦争は終わり、人びとに平穏な日常は戻るでしょう。でも、戦いの火種となった矛盾や腐敗、憎悪は置き去りにされたままとなります。
 民主主義には様々な矛盾を含んだ多様性を許容できる寛容さが必要だ、ということを言っている思想家がいました。白か黒という二項対立的な議論だけではない、様々な価値の在りようについて留保しつつ、妥当な結論の醸成を見守る辛抱強さが必要なのでしょう。

 さて、現在の日本の公共図書館をとりまく状況にも様々な矛盾や価値の対立があるように思います。ここまでの文脈からすると、私たちはいかに実効性のある「妥協」を生み出せるか…という「落ち」が透けて見えるのですが、それは具体的にどのような状況の出現を意味するのでしょうか。
 それは、様々な問題を孕んだ「指定管理者制度」に代表される委託問題を手放しで受け入れることではなく、また、これまでの公務員司書による図書館の在り方を全面肯定することでもないと思います。私たちに求められているのは、個々の議論を丁寧に分析し評価していく営みを重ねていくことなのだろうと思います。
 例えば、新しい行政運営の背景にある大きな力(例えばリバタリアニズム)への批判と、その運営方法が持っている技術や指向の妥当性を評価することは分けて考える。そこで活かせるべき知恵(現在のところ皆無とは思いますが)には真摯に向き合うことが大切ではないか、ということです。
 あるいは、「民営化」の宿命でもある資本主義の構造的な危険性への批判と同時に、安定的な雇用が専門性の向上にだけでなく、インセンティブの低下をも招く事実から目を逸らさないことでもあります。
 実際的な良い図書館サービスを生み出す現実(=レトリックとしての平和)はどのような考え方や行動から生み出されるのか? まずは、自分の痛いところからほじくり出さねばと自戒している今日この頃です。
(東近江市立能登川図書館 嶋田 学)
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2008年12月22日

図書館の妖精

ベルリン・天使の詩.jpg こんにちは。
 とある図書館に勤める”コリアンダー”と申します。2回目の登板です。

 映画「ベルリン・天使の詩」(ヴィム・ヴェンダース監督)で図書館に天使がいるシーンが印象にのこっています。
 笑われてしまうかもしれませんが、私が勤めている図書館にも天使というか妖精がいるのではないか、と思えたことがありました。

 レファレンス担当になりたてだったころのこと、にこやかに質問された方がありました。
 この地域に関する歴史の質問です。
 どんな質問でも緊張はするのですが、こと地域の歴史・文学について不見識だと図書館の不名誉になってしまうではないか、と緊張感が高まりました。
 その方は「たぶんこれに載っていると思う。」と基本レファレンスブックを示し、自分はうまく探せないので見てほしいというのです。
 ここにはこう載っていますと見せると、記載中の記号の意味を尋ねられます。凡例を読み、こういう意味です。と伝えるとそこから更に「ではこの記載中に参照されているこの事典を調べてください」とおっしゃる。その事典を調べるとまたそれにつながるレファレンスブックを見てくれ、と。そのように次から次へとその方にナビゲートされて、最後には提示された質問の核心へとたどり着きました。

 そしてその方は丁寧にありがとうと行って帰って行かれたのです。

 そんなばかな!と思われるかもしれませんが、行動はまったく自然で試してやろうとか、教えてやろうとかそんなそぶりは少しもないのです。

 本当に不思議な方でした。

 この体験はかなりファンタジックでしたが、カウンターに立って質問を受け、それを丁寧に回答して行く日々の中で身につく経験というものが確実にあります。もちろん自分自身で研鑽も積んでいかなければならないのですが…
 現在は、ますます利用が増えていているのに、あまりに人手が減って(毎年着実に減っている)あのころのような対応が自分にできているだろうか?と思うことがあります。
 妖精がやって来ても出会えなくなっているかも。

 一瞬、一瞬、直近の締め切りのものから片づけていると、大切だけど締め切りが特にないものが後回しになってしまいます。締め切りも立て込んでいて、息苦しさを覚えることもしばしば。
 残業もしていますが、その残業代もないと言われるわで、出口なし!感が強まる中、『残業ゼロ授業料ゼロで豊かな国オランダ』(リヒテルズ直子著 光文社 2008年)を読みました。

 働き方への行き詰りから手に取った本でしたが、この著者は以前やはり話題となった『オランダの教育』(平凡社 2004年)を書かれた方で、今回の本でも子どもの育つ環境について熱く紹介しています。

 子どもがどのくらい孤独を感じているかという国際比較があるそうですが、オランダは世界で一番子どもの孤独感が少ない。それはワークシェリングを実現し、一人一人の労働時間が短く、子どもに寄り添う家族がちゃんと家に帰って来るから。

 数日前、派遣切りや内定取消しについてのNHKの特集番組でオランダを取材していました。オランダでは来年に向けて、社会全体の賃金を押さえる決定を労働組合と経団連のようなところが話し合って決めたそうです。街角でのインタビューで市民が「みんなが働ければその方がいいわ」とシンプルに答えていました。

 ワークシェアリングは経済界、労働組合、政府が話し合いを通して苦労して歩み寄った成果だそうですが、一人一人にあった教育をしよう、自主性を重んじようという戦後改革で生み出された教育が、このような相互扶助の考えにつながるんだろうな、と思いました。

 学ぶところのある国の話を聞くと、それじゃあ日本ではどうすりゃいいんだ?というのが毎度の疑問です。それで何かヒントをつかめればと同著者ですが『オランダの個別教育はなぜ成功したのか イエナプラン教育に学ぶ』(平凡社 2006年)を読んでいるところです。

 図書館でも子どもたち一人一人が自分で考えて楽しめるような企画を何か考えられたらと思っています。


★★おまけ コリアンダーのぐうたらレシピ 2★★

<まずお詫び>レシピ1回目への訂正です。前回のレシピでしめじと書いたのはエノキの間違いでした。「げ、まずっ!」と思った方はエノキでもう一度試してね。

今回は…「レンコンとタマネギのチヂミ風」

1 レンコン・タマネギは皮をむいて粗くみじん切り、しょうがを短め(長さ1センチ程度)の千切り
2 そば粉に卵を割り入れ水で溶き
3 1を入れて平たくのばし、フライパンで両面焼く
4 焼けたら上にカツオ節とソースをかけて食べる。

レンコンの食感がいいですよ♪
(コリアンダー)
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2008年12月01日

図書館と自衛隊の組み合わせ…

中野区図書館しおり裏.jpg 先日、年一回行なわれている日進市の市民祭りに行く機会がありました。併せて開かれた図書館祭りに参加するためだったのですが、会場近くの広場には多数の模擬店が並び、沢山の人でにぎわっていました。
 そこでは、例年、消防署からはしご車がやってきて、記念写真を撮ったりするとのことでしたが、今年は近隣の自衛隊駐屯地から迷彩色のジープも来ており、記念撮影をしています。3歳くらいの子ども用のヘルメットや制服まで用意されており、大人も子どもも装備してジープを背景に家族写真を撮ってもらっている様子を見て、私は本当に驚きました。図書館友の会の方に尋ねると、昨年までは自衛隊のジープなど見かけなかった、とのこと。

中野区図書館しおり表.jpg 数日後、中野区の図書館で「自衛官採用中」のしおりが図書館で配布されていると聞き再度吃驚しました。しおりの片面は図書館カレンダーになっていて、最後に「このカレンダーは広告主から寄贈されたものです」と書かれています。裏返すと、「自衛官採用中」の字とともに、「今すぐ資料請求を」の大きな字が目に飛び込んできました。これは、自衛隊が図書館利用者をターゲットにリクルートしているということ?

 図書館と自衛隊の組み合わせ… 違和感を覚えるのは私だけでしょうか。

(C.A.)


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2008年11月24日

八年間の軛(くびき)

オバマ次期大統領.jpg アメリカの新大統領にオバマ氏が当選した。ブッシュ政権の8年間、テロ撲滅をスローガンとしたネオコン(新自由主義、新保守主義)政策の中で、アフガン・イラク戦争や規制緩和による金融・資本の無政府化がアメリカ経済をどん底におとしいれた。世界の憲兵として君臨していたアメリカ帝国の大きな変換になるかどうか、これからが見ものであろう。

 『カレントアウェアネス-R』(2008年11月05日号)によれば、「オバマ氏は、2005年の米国図書館協会(ALA)の年次大会で演説し、「図書館は常に、より大きな世界へ繋がる窓であり続けてきた。図書館は、米国の歴史を前進させる手助けとなるような大きなアイディアや深遠なコンセプトを見つけるためにわれわれが訪れる場所であり続けてきた」と聴衆に訴えました。また2004年には、米国愛国者法(PATRIOT ACT)に対する懸念を示しています。このように、オバマ氏は図書館界に有利と判断できるような発言をしてきました。」という。しかし、ALAの関係者は、オバマ氏に対して一定の期待を寄せながらも、今後も積極的に図書館の重要性をアピールしていくことに変わりはない、と答えていたということである。

 わが国では、小泉政権から8年間、総選挙を前にしてバラマキ政策が行われようとしている。バブルの崩壊によって日本の金融市場が危機に陥った時、政府が莫大な公的資金を投入して、銀行再編を促しながらこの金融危機を乗り越えたと麻生首相は自慢している。きょう(11月5日)のNHKでは解説委員が首相の言葉を無批判的に、今回のアメリカの金融危機に対して日本を見習うべきだというようなことを言っていた。
 しかしその陰で、労働法制の改悪によって大企業は空前の利益をあげた。そしてその結果、働く者たちの中に格差が生まれ、ワーキングプアが現出した。また、三位一体政策によって都市と地方の格差が増大し、国民生活のセーフティネットが脅かされている。

 図書館の委託や指定管理者制度、PFIの導入はこの流れの中でおこなわれ、公的機関の責任放棄が教育や福祉といったセーフティネットを破壊してきた。小泉内閣から8年、日本の国民もこのあたりで目覚めて、新に国民を幸せにしていく政治を手に入れ、「八年間の軛」から解放される努力が求められているのではなかろうか。
 また、日本でもオバマ氏のような図書館に理解を持った首相を望むところだが、図書館はそのために何をなすべきなのか考え、行動することが求められているのだと思う。

(東京支部 大澤正雄)

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2008年11月17日

ふるさと納税(寄附)と図書館

 先日、町の日帰り温泉に行った時のこと。ロビーに「ふるさと納税(寄附)」への呼びかけのチラシが置いてあるのを見かけて、「おおー、宣伝してるな」と嬉しくなりました。ここ(日帰り温泉)なら、町民はもとより多くの観光客の目に触れ、その効果も期待大です。
 「ふるさと納税(寄附)」については、みなさんすでにご存知のことと思うので詳しい説明はしません(良くわからない方は検索を)。
 全国各地のまち、むらが知恵を絞り、しのぎを削って「わがまちに寄付を!」と色んなメニューてんこ盛りでみなさんに寄附を呼びかけています。それぞれの自治体のホームページを見れば実施の有無も分かるし、その特色ある寄附メニューが明らかにされているので、ぜひ一度ご覧ください。

 さて、話を最初に戻しましょう。わが町の「ふるさと納税(寄附)」のことです。申込書を見ると、教育/福祉/保健/観光/環境/安全/その他の7項目に分かれています。その内訳として具体的な15のメニューがずらりと並んでいます。
 その中に、な、な、なんと「図書館及び図書資料等整備に係る事業」がしっかり入っているのがオドロキです。同じ県内の自治体の「ふるさと納税(寄附)」のメニューを見てもどこも「図書館」のことなんか書いていません。「生涯学習の推進」とか「教育・文化の振興」といった、大まかなメニューしか書かれていないのです。
 そう、わが町の具体的なこと。これを見て「小さい町なのに図書館があるんだ」と思う人がいるでしょうし、図書館に寄附してくれる人が実際に現れてくれるかもしれません。

 現在は、まだ寄附の申込はありません。ですが、メニューにしっかり書かれていることは心強く、全国各地の人たちの目に触れれば、良い宣伝にもなります。みなさんのまちはどうでしょう。ふるさと納税(寄附)のメニューの中に、図書館への寄附はありますか。
 実はこれから、全国の市町村のホームページで「ふるさと納税(寄附)」のメニューに図書館がどの程度盛り込まれているか調べようと計画しています。
 結果は『みんなの図書館』にて発表予定。乞うご期待。

(N.T.)
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2008年11月10日

不得手を克服したい(その1・水泳)

 何でもよく噛んで、好き嫌いがなく食生活はいたって万全!しかし、不得意なことが多い自分。子どもの頃から、習字、そろばん、空手など習い事は行かせてもらったが何ひとつ身にならないタイプ。取組みスタートダッシュは良いのにトルクがないため急激にペースダウン。しかも虚弱体質ときたもんで手に負えないとは自分のことです。しかし、『夢をかなえるゾウ』(水野敬也著 飛鳥新社 2007)ではないですが、頑張っています。

 20代の後半、自分で何を思ったのか、年代ごとに一つずつ克服していけば、捕らぬ狸の何とかで、人間改造ができると意味不明なことを考え、週に一度の水泳を習いはじめて10年近くが経過。今では、4泳法をそれなりに習得しつつあり、バタフライも飛沫もあげずにかっこよく(あくまでも自己評価)できていると思います。
 しかも、それまでは5mしか泳げなかった金槌そのものが、今や約1.5kmも泳げるように! また、腰痛防止(図書館員に多い)、風邪引き小僧の汚名返上、それに階段を一気に駆け上っても平然としているスーパーマン(大げさでごめんなさい)状態になれました。

 この体力を有効に使い、「乳幼児のお話し会」の手遊びでは子どもを何度も持ち上げる体力勝負で(お母さんは若干引きぎみの傾向?)、子どもには大うけです。「お家に帰ったらお父さんにやってもらおう!」を合言葉に、十八番の「ウルトラまん」で子どもをお母さんの元へ高く飛ばします(^^;
 ちなみに私の呼び名は、乳幼児の間ではお兄さん(内心:かなり気を使ってくれているなあ・赤面)、小学生からはおんちゃん又はおじちゃん(内心:妥当で、おう!なんでもきいてくれ!・頭をぐちゃぐちゃになでたくなる)、中高生は苗字(内心:一番うれしい・今度一緒に科学遊びやらない!)となっています。

 そんなおはなし会ばかりのせいか、刺激を求める子どもで参加者は増えつつあり、また館内はにぎやかになりつつあります。
 「図書館はうるさくしちゃだめ」と遠慮する年代が増えているので、そんな年代にも理解してもらえるよう上手いこといければなと、なんだりかんだり実験中です。

(Y.K.)
posted by 発行人 at 13:01 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

迷える図書館長の必読本!?

 先日読んだ「かんちょう」についての本をご紹介します。といっても、館長ではなくて艦長です。

 マイケル・アブラショフ著、吉越浩一郎訳『即戦力の人心術』(三笠書房 2008)



 著者は、アメリカ海軍の最新鋭ミサイル駆逐艦の艦長でした。

 わずか2年でどん底状態の「チーム」を、海軍中最高のパフォーマンスと評価されるまでに生まれ変わらせた彼の語るエピソードの数々は抜群に面白く、同じ「かんちょう業」を営む私にとっては示唆に富む読み物でした。

(私は元軍事オタクで、戦記や軍事小説はもちろん、「ケイン号の叛乱」とかアメリカ軍艦を舞台にした映画もいくつか見ているので、この分野の本には用語を含めまったく抵抗がないのです。といっても、そんなに難しい表現があるわけではありませんが。)

 どん底を抜け出すために彼が最初に取り組んだのは二つ。第一に、自艦の艦員の離職率が高い理由を探ること。第二に、全部の艦員と面談して彼らが海軍勤務の間に成し遂げたいことを聴くことでした。

 ちなみに、離職率が高い理由のトップは、「上官から大切に扱ってもらえないこと」、最初に予想していた「給料が安いこと」は五番目だったそうです。)

 終章で彼はこう書いています。「どんな分野でも繁栄している企業というのは、リーダーの役割が命令を下すという立場から部下を育てるという立場、<才能の育成者>へと変化している。」

 これはわが意を得たりという感じですね。なかなか実行はできませんけど。本書には邦題の通り「即、実行」のアイデアが満載されています。

 原題は"It's Your Ship"、彼の部下育成の要諦が「自分自身が艦長だと思って判断する力をつけさせる」ところにあることを端的にあらわした、いい言葉です。

 拙文をお読みの図書館員の皆様は平和を愛する方ばかりだと思いますが(私もそうです)、本書を「軍隊の本」と毛嫌いしないでぜひ購入してください。そして、あなたの「かんちょう」のデスクの上にそっと置いてみましょう。職場がぐっと過ごしやすく、活気のある場所になるかもしれませんよ。なぜ、そこまでやるかって?そこがあなたの図書館だから(It's your library)!

(豊田高広)
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2008年10月20日

『最新図書館用語大辞典』と私

最新図書館用語大辞典.jpg 図書館から博物館に異動して6年になります。
 主な担当は教育普及事業、今年は初めて学芸員実習も担当しました。熱心な実習生との出会いにも恵まれてあっという間の5日間が過ぎ、最後に評価をする段階で「うーん、みんな優秀だ。私が担当でよかったのだろうか?」と妙に悩んでしまったことでした。

 さて、そんな私の職場の図書室には『最新図書館用語大辞典』があります。日本史の専門書や復刻版の新聞などの中で少々異色の存在ですが、館内唯一の司書でもある私がいちばん活用しています。
 図書館で仕事しているときには常識だったことも博物館では説明の必要があるからで、とても重宝しています。でも、私自身も知らない言葉がたくさんあります。
 「泣きわかれ」という言葉が載っているのにはびっくりしました。風情があるというかなんというか… 印象が強くて、一度で覚えてしまいました。

 それにしても。
 言葉の意味を定義することは大事だと、本を開くたびに思います。
 ひとつひとつの言葉が生まれ、定着するまでの長い道のりも想像します。

 そういう意味で、私にとって印象的なのは「バリアフリー」という言葉です。
 まだ社会にバリアフリーという概念が定着していなかった頃ですが、参加していた聴覚障がい者の研修会では「完全参加と平等」という言葉をよく耳にし、手話表現でも「完全」「参加」「平等」という単語を使っていました。
 固い言葉だなー、と思っていたので「バリアフリー」という言葉を知ったときは新鮮でした。最初は指文字で表現されていたその言葉が、平易な表現の手話になったときの驚きはよく覚えています。
 驚いている私に、ある友人は平然と「いつかバリアフリーという言葉は使われなくなるよ。ユニバーサルの時代になるよ」と言いました。ユニバーサルって何?と、またまた驚いた私。10年以上前のことですが、とても印象に残っています。

 言葉は生きもの。日々生み出されていくものです。逆に消えてしまいそうに思えるものも、記録が残っていれば再び見直されることもあるのです。
 もしも、言葉のレッドデータ辞典が編集されることになったとき、「図書館」や「自由」という言葉が掲載されないことを願いつつ。

(A.M.)


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2008年10月13日

「おじさ〜ん」 児童図書館員の一日

 私は頭もはげてきましたし、おなかもでています。立派な中年男ですが、仕事は市立図書館の地区館(分館というよりは規模が大きい)で児童サービスをほぼ専従でしています。もうひとりの担当は嘱託職員の司書で若い女性です。
 今のように図書館が民間委託されたり、図書館職員の司書率が半分以下になったりという時代の中にあって、児童サービスのオーソドックスをそのまま貫いています。なので、一応、質の高いサービスをしているとは思っています。
 男ですから児童室のレイアウトや展示などには細かな気配りが足りませんが、その部分はもう一人の担当の彼女が私をカバーしてくれています。

 夏休みが終わると、昼間は子どもの本の選書や、あかちゃんをつれたおかあさんにあかちゃん絵本を紹介したり、「おはなし会」の準備のための絵本を選んだり、ストーリーテリングのメンテナンスをしたりしています。
 児童サービスをするのは17年ぶりになるのですが、「学校図書館とかでの読み聞かせボランティア」などに絵本を紹介することが多いことと、高学年の小学生は携帯小説を読むということなどに時代の変化を感じさせられます。

 夕方になると小学生、中学生が駆け込んできます。小さな利用者の7割から8割は女の子でしょうか。男の子のレギュラーもいますが、やはり少数です。
 私はなるべく子ども達と話をするようにしています。子ども達は学校でのこと、家でのことなどをたくさん話してくれます。地域を知るためという意味では、ものすごく多くの情報をそこから入手できます。
 おしゃべりしていると時々「ところで、おじさんの仕事は何?」と訊かれることがあります。子どもとおしゃべりしながら絵本を紹介したりするのが中年男の本職だなんて、子どもから見ても考えられないのかもしれません。そこが、この仕事の醍醐味です。
 また、子ども達から「はげ!」とか「メタボ!」とか言われることもあります。これは私への愛着をこめての言葉なのですが、「人のからだのことを言うものではない!」と注意をします。

 児童サービスのやり方は、最近言われているビジネス支援サービス、医療・健康情報サービス、法情報サービスの仕方となんら変わりはありません。資料を研究し、収集し、組織し、資料を利用者に手渡すための企画をする。
 それなのに、なにか、児童サービスは図書館の中で、誰でもできるサービスというような低い位置にやられていると感じます。それは、児童サービスの後退および図書館全体の質の低さからくる図書館の民間委託への道と重なっていると思います。
 逆に、私にとって子どもの本を読むということは簡単なものではなく、英字新聞を読むときと同じぐらいのエネルギーを使います。

 さて、「おじさん」と私に声をかけてくる子ども達が「おじさ〜ん」という言い方をしてきたら、「来た!」っていう感じになります。これは、何かを要求してくるときの言い方です。ときどき、とんでもないことを言ってきますが、「なるほど、そんなことができたら面白いよな」と感心することもあります。
 図書館の仕事は肉体仕事で、単純作業が多く、褒められることも少なく、そんなに楽しいものではないと私は思っています。ところが、利用者が見えるときに面白さを感じることができます。今は、子どもの生活の一部に図書館があると実感できたときに達成感を感じています。
図書館の話でもりあがる食事はいつも楽しい.jpg
(図書館のおじさん)
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2008年10月06日

ヨーロッパの図書館

ヴィクトリア&アルバート美術館内にあった図書館.jpg 今夏、世界遺産に登録されている幾つかのヨーロッパの古都を訪れる機会がありました。北欧以外では初めてのヨーロッパでしたが、広大な緑と豊かな河の流れとともに受け継がれる歴史文化遺産の数々にふれ、かの国々の文明の奥深さを見た思いがしました。同時に、巡り歩いた教会や博物館、美術館や劇場など、その中核に、本の文化、図書館の文化が深く根付いていることを見聞きし、とても驚きました。

 例えば、ロンドンのビクトリア&アルバート美術館には、その建物の真ん中に専門図書館があります。日本でみる美術館内図書室とは比較できないくらいの質と量です。もちろん司書も複数常駐して「何でもこい」の風情です。閲覧者も多数見かけましたし、貸出しもできるようでした。
 また、大英博物館内にある図書館の部屋の壮絶さに圧倒されていたら、2001年には新しく大英図書館が造られ、大英博物館内の図書部門はそちらに別置され、博物館に残っているのはほんの一部であるとのこと! さっそく大英図書館を訪れてみました。
 古代から現代にいたる、気が遠くなるような蔵書の数々がガラス張りの書庫に整然と納められ、あたかも巨大な柱のように、建物の中央をつらぬいています。納本制度によって今もその収蔵は増え続け、カタログ化も進んでいるとのこと。地図の部屋、アジア・アフリカの部屋など、テーマ別に分かれたそれぞれの部屋に入るには利用者カードが必要だとのことで、すぐカード発行登録手続きの部屋に行きました。
 朝早くにもかかわらずそこはすでに長蛇の列で、アラブ系、アジア系とおぼしき姿が数多く見られます。閲覧室の椅子が足りなくなるくらい登録希望者が多いのだと嬉しい悲鳴を聞きました。順番を待ちながら人間観察をしているうちに、世界のそこかしこに決して安らかとは言えない状況があるけれど、本を大切に保存してきた人類の叡智や、知識や真理を求めて図書館を訪れる老若男女の探究心を信じたいとの思いがあふれてきました。

 また、プラハ市にある国立図書館の一つ、クレメンティヌムには革装丁された中世からの蔵書がナンバリングされた書庫に整然と並べられ、フロアにはフレスコ画が描かれた美しい天井を見上げるように古い地球儀や天体儀が置かれています。古色蒼然と見えながらも現役の国立図書館として機能し、カレル大学の研究者や学生たちが日常的に利用しているとのこと。
 クレメンティヌムに向いあう、プラハ市庁舎のすぐ脇に建つ現代的な図書館は、1998年に新しく建てなおされた公共図書館とのことでしたが、カウンター周りはプラハ市民で一杯でした。夏休み中も開いていた新聞コーナー、電子ピアノやたくさんの視聴用ソファーが設置された音楽資料コーナー、オペラや芝居など劇場関係資料を扱う部屋、色とりどりのテーブルセットでたのしく飾り付けされた子どもたちのスペースなど、館内は資料や利用者の種類によっていくつものコーナーにわかれており、お互いがほどよい距離感と導線で繋がっています。
 それぞれにカウンターがあり、専門的な質問に対応できる司書が配置されていました。同一図書館内で司書の異動はあるけれど、それぞれの得意分野は分かっているのでレファレンスの対応には問題はないとのこと。案内してくれた司書が話してくれた「中世の図書館も大事だけど、市民にとっては身近な地域図書館こそ最も大事なはず。国立図書館を守るために地域図書館を統廃合したり予算を削るなんてとんでもないこと。」「ホームレスがくることを私たちは決して拒まない。」などの言葉がとても印象的でした。

チェスキークロムロフの中心に位置する小さな公共図書館.jpg さらに、最も早く世界遺産に登録された街の一つであるチェコ南部チェスキークロムロフの図書館にも行きました。中世の街並みがそのまま残る美しさで知られ、現在世界中からの観光客でにぎわっている小さな街ですが、観光客でもすぐに目に付くような中心部に公共図書館が静かに開館していました。
 また、ドナウ河沿いに残るオーストリアのメルク修道院図書館は、「世界で最も美しい図書館」とガイドブックに大きく紹介されているので興味津々で出かけました。確かに中世の香りがそのまま残るようなその場所は説明通りの美しさですが、その一方で、ウィーン市内には50あまりの現代的な公共図書館が約170万市民の生活の中にしっかり息づいているのでした。

 図書館が、観光の対象としてガイドブックに掲載されることに気づいたのも初めてのことでしたが、世界遺産の街並みの一等地に、そこに住み続ける人びとのためのごく普通の公共図書館が設置されていることへの驚き! 美術や音楽や建築などと同様に、ヨーロッパ文明を支える不可欠な構成要素として図書資料が認知されているのだ、と心から納得できた貴重な体験でした。
 思えば、プラハで見た、時代に洗われた古い時計台にも本を読む人が彫刻されていました。ウィーンで出会った忘れがたいフェルメール作品『絵画芸術』でも、たたずむ女性は本を開き、壁には地図がモチーフとして描かれていました。
 図書の文化が暮らしの中に根付いています。だからこそ、中世の時代から街づくりの要として教会や市庁舎のすぐ脇に図書館が位置し、重用されてきたのではないでしょうか。

 多くの日本人がヨーロッパの古都を訪れ、素晴らしい歴史文化遺産に感銘を受けます。教会や市庁舎、美術館、博物館、劇場や工房、修道院や大学、都市計画にもとづく街並み、様々な時代を写す建築群などを見聞きし、その文明の奥深さに心動かされ、癒され、それとともに受け継ぐ人びとの一人ひとりに尊敬の念を抱きます。
 しかし、それら貴重な歴史文化遺産は、それぞれの図書館に収められた知的財産によって下支えされていること、収蔵資料が時代とともに充実し、市民に広く提供されることで、その遺産もまた過去の遺物にとどまることなく、さらに発展が促され現在に至っていること…。
 日本からの訪問者はそのような思いを殆ど抱いていないように感じるのですが、いかがでしょうか。もしそうであるなら、それは日本の図書館の貧しさ、図書館文化の貧弱さの所以でしょうか。なぜ日本の図書館はヨーロッパのように大切に扱われなかったのでしょうか。
 過去から未来へ自然、歴史、文化などを継承していくためには図書館が重要な役割を担う必要があることへの共感、図書館を初めとする教育文化政策には相当の資金や人の配慮が必要であることへの理解を、一人でも多くの人びとと共有するためにはいったい何をどうすればいいのでしょうか?

(C.A.)


posted by 発行人 at 08:12 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

2008年09月29日

「自由」についてのつぶやき

 このところ、「図書館の自由」が脅かされる事案がたびたび起こっています。これは、私たちの暮らす社会の、経済的事情や国の事情、あるいは世界におけるわが国の位置などということと、ある程度関係しているように思います。イデオロギー対立が終焉を迎え、市場の優勢が拡大し、福祉国家がその役割を縮小していく中で、社会には様々な問題事象が起こり、国家は「新自由主義」の擁護のために、あらゆる局面で統制を強めているかに見受けられます。

 「自由」であることを最大限の価値として世の中を動かそうとしている勢力がもたらしたのは、多くの格差と、その格差の中で「不自由」にあえぐ貧困社会です。彼らの主張は、福祉国家体制における国家による平等の擁護がある種の不平等を生むだけでなく、擁護される人々をも国家への依存者に貶める、といったものでした。
 しかし、そうした主張を国家政策として優先した現在の社会は、株価の変動や投機マネーの暴走に右往左往し、「市場への依存」ないしは「市場による支配」を甘受しているのだと言えないでしょうか。

 そこで頭をよぎるのは、「自由」の保障とは、条件整備なのか、それとも結果責任なのか、という問いです。

 アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)は、「自由」にとっての脅威は他者からの「干渉」であると述べています。つまり、私たちが考えうる生き方を実行する上で、国家を含む他者からの干渉を取り除くことが自由の保障にとって重要である、と(「消極的自由論」と言われている)。
 こうした自由概念への批判は数多くありますが、図書館員としての私にもっとも響くのは、インドの経済学者、アマルティア・セン(Amartya Sen)の主張です。センは「自由の条件」における不平等を問題とするだけでは不十分で、人びとが現に享受する自由そのものの不平等こそが問題である、という考えを示しました。センは、それを「潜在能力」(capability 訳語としては「生き方の幅」とも)を活かす条件の平等と位置づけています。
 例えば、障碍や疾病などのハンディキャップをかかえる人びとは、自由を享受するのにより多くの資源を必要とします。また、そうした個人的な特性に限らず、性別や人種差別、性的マイノリティなど、社会の仕組みに影響を受けることにより「潜在能力」の可能性を奪われている実情があるでしょう。

 図書館は、資料提供というサービスを通して、人びとの多様な「潜在能力」を引き出す具体的な機能を有しています。資料の提供を阻む行為は、人びとの自由にとっての脅威以外の何ものでもありません。

 民主主義社会を実現する上において、「自由」の概念やそれを実現させる政策の妥当性は多種多様であり、議論され続けることが「自由」の獲得における条件と言えるでしょう。しかし、「自由」という価値を自己(私)と他者(あるいは国家)という主体同士の関係性から考えるとき、カントの次の言葉に耳を傾けたいと思います(国家という概念に主体性があるか、という議論はまた別の機会に…)。

 国家の果たすべき役割は統治による『幸福の保障』ではなく法による『自由の保障』であり、他者の自由と両立するかぎり、各人は自らの幸福(善)を自らが妥当と判断する仕方で追及することが許されるべきであり、そうした各人の自由は他者(国家を含む)の定義する幸福(善)の観念によって制約されてはならない。

 齋藤純一『自由』(岩波書店 2005年)p.6より引用


 今、堺市でBL(ボーイズラブ)資料への市民の意見に関する取り扱いを巡って、「図書館の自由」の観点からは看過できない事態が発生しています。堺市の市民の皆さんは、今回自分たちが発した主張の論理性によって自らもまた知る自由を奪われることになる、という構造的な過ちに気付いてほしいし、図書館は民主主義を支える上でしてはならない「自由」への侵害を行っているということを改めて認識し、今般の態度表明を見直してほしいと願わずにはいられません。

◆参考文献
 自由全般について
  齋藤純一『自由』(岩波書店 2005年)
  山脇直司『グローカル公共哲学』(東京大学出版会 2008年)
 バーリンの自由論について
  金田耕一『現代福祉国家と自由』(新評論 2000年)
 カントの記述は以下の原著が元になっています。
  北尾宏之訳「理論と実践」『カント全集』第14巻(岩波書店 2000年)p.187-188

(滋賀支部 嶋田 学)
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2008年09月23日

現実の「図書館戦争」―「図書館の自由」をめぐって

◆現実の「図書館戦争」?
 私の働く図書館でも、中高生の職場体験を受け入れています。今年の職場体験で図書館を選んだ理由として、『図書館戦争』(有川浩/著,メディアワークス発行)を読んで興味を持ったから、という子がいました。ベストセラーであり、アニメ化もされた有川浩さんの『図書館戦争』の影響を実感したところでした。
(アニメの公式サイト:http://www.toshokan-sensou.com/

 『図書館戦争』は仮想の世界が舞台で、検閲を行うメディア良化委員会と図書館の間で、検閲対象となった資料をめぐって銃撃戦まで行われています。読者はこの作品をSFやライトノベルとして受け取っていると思います。たしかに、現実の図書館員は資料を守るために銃器を手にしてたたかったりはしません。しかし、別のやり方で「図書館戦争」がたたかわれてきたと聞いたらどう思いますか?



◆「図書館の自由に関する宣言」
 『図書館戦争』の冒頭には、「図書館の自由に関する宣言」が掲載されています。「図書館の自由に関する宣言」は、有川浩さんの創作ではなく現実に存在します。日本図書館協会で採択されたこの宣言は、図書館業界では略して「自由宣言」と呼ばれています。
図書館の自由に関する宣言 1979年改訂(日本図書館協会)

 図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。
 この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

 第1 図書館は資料収集の自由を有する
 第2 図書館は資料提供の自由を有する
 第3 図書館は利用者の秘密を守る
 第4 図書館はすべての検閲に反対する

 図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。
 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/ziyuu.htm

 「図書館の自由」と聞くと、図書館が自由にしてもよいことを決めた宣言だと誤解されることがあります。アメリカにも同様の「図書館の権利宣言(Library Bill of Rights)」がありますが、これは基本的人権を定めた「権利章典(Bill of Rights)」に対応したもので、人民の図書館への権利(を守るための図書館の権利)という意味が込められています。
 日本の「自由宣言」も、国民の知る「自由」を守るために図書館が持つ「自由」を規定したもので、図書館の自由とは国民の知る自由でもあります。


◆国立国会図書館の利用制限事件
 「自由宣言」は抽象的に原則が書かれていますから、読んでも「ふーん」と思うだけかもしれません。しかしこれを実践することはかなり大変です。
 最近起こった事例を見てみましょう。
米兵事件資料を一転非公開 法務省要請受け国会図書館 (8月12日 共同通信)

 米兵が起こした事件の処理について、重要事件以外では事実上の裁判権放棄を指示した1953年の通達を掲載した法務省資料をめぐり、同省が5月下旬に「米国との信頼関係に支障を及ぼす恐れがある」として、所蔵する国会図書館に閲覧禁止を要請、6月上旬に図書館の目録から資料が削除されていたことが11日、分かった。(以下、略)
 http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008081101000935.html

 この事件は報道もされましたので、ご存知の方も多いかもしれません。その後、ジャーナリストの斎藤貴男さんが国立国会図書館を相手に閲覧禁止措置の解除を求めて裁判を起こすことを表明したことも報道されました。
 日本図書館協会と、私たち図書館問題研究会はこの件での国立国会図書館の対応を「自由宣言」に反したものとして、閲覧禁止措置の解除を求めています。

 図書館問題研究会の要請
  http://www.jca.apc.org/tomonken/kokkaitosyokanyousei.html
 日本図書館協会の要請(PDF)
  http://www.jla.or.jp/kenkai/20080910.pdf

 今回の事件は、簡単に言えばある資料を利用者に見せないようにという要求であり、これは「自由宣言」の第2の資料提供の自由への圧力にあたります。
 こうした圧力には様々な形があります。今回のように、行政府からこの資料は公開して欲しくないと言われることもあれば、利用者の方からこんな◯◯(不快・破廉恥・子どもの教育に良くない・公序良俗に反する・偏っている……)な本を図書館に置くなんて問題だ、と言われることもあります。
 図書館は知る権利・知る自由のために存在する機関なので、原則的には資料の提供を制限することはありません。ただし、『部落地名総鑑』のように公開が特定の人物への人権侵害に直接的に結び付く資料については制限をかけることもあります。
 図書館の自由に関する歴史は、こうした圧力と図書館の自主規制の歴史でもあり、資料の利用制限は極めて慎重に検討されなければなりません。

 この事件を複雑にしているのは、問題の資料が非公刊資料(一般に市販・頒布され広く流通したものではない)だということです。公刊資料であれば、要請があっても国立国会図書館は制限しなかったでしょう。
 ごくプライベートな記録のようなものが、本人の意思に反して図書館の資料となった場合など、図書館が発行者の意向に配慮して資料の収集や提供について制限をすることはありえます。
 しかし、内容が公共的なものになればなるほど公開の必要性は高まります。発行者が利用制限・回収の意向を示したとしても、その内容・頒布形態・要請の合理性などに基づいて図書館は自主的に資料の提供について判断するべきです。それこそが図書館が国民の知的自由を守る機関として「資料収集の自由」と「資料提供の自由」を持つ意義でもあります。
 
 今回問題となった資料は、米兵が日本で起こした事件の裁判権という大きな政治的問題を扱っています。これは、国民の政治判断の材料にもなるような重要な情報です。
 アメリカでは図書館は「民主主義の武器庫」ともいわれています。多様な情報が主権者の間で共有されることは、民主主義が成立する前提条件です。図書館は(経済的条件によらない)情報の提供という、民主主義社会にとって重要な機能を担っているのです。


◆「自由宣言」は勇ましいけれど、実態は……
 「自由宣言」は「あくまで自由を守る」とうたっています。しかしこの勇ましい文言の実践を難しくしているのは、図書館が行政組織の中でそれほど独立した基盤を持っていないことです。人事も予算も独立した権限を持っておらず、専門家(司書)の館長は少数派です。
 こういった状況で、「役所の論理」と「図書館の論理」がくい違った時、図書館が行政府や教育委員会に対して毅然として資料の利用制限を拒絶することはなかなか大変なことなのです(国立国会図書館は少なくとも立法府に所属していますから、その点で普通の公立図書館に比べれば独立性は高いはず、ということも今回の件では批判されました)。
 また「自由宣言」は日本図書館協会が採択したもので、図書館業界ではこの宣言を実践していこうという合意がありますが、法的な強制力を持つものではありません。

 しかし、こうしたことは利用者(住民)にとっては所詮役所の内部事情に過ぎません。図書館が国民の知的自由を守る、というのであれば、図書館員はこの自由宣言に沿って最大限努力しなければなりません。制度的基盤(独立性)がなくても、職業的矜持で持ちこたえるしかありません。
 難しい問題がある時に私が考えることは、全国の、そして他の国の図書館員に顔向けできないな、ということです(もちろん利用者の皆さんに顔向けできないというのは大前提)。世界各地で図書館員は日々知的自由のために頑張っています。図書館員であるということは、職業的矜持を持って働く世界の図書館員共同体の一員であるということでもあります。

 奇しくも『図書館戦争』のメディア良化委員会は法務省の管轄する組織でした。現実の図書館も簡単に圧力に負けてしまうのではなく、「あくまで自由を守る」ために現実の図書館戦争をたたかい抜かねばなりません。私は『図書館戦争』の主人公のような熱血バカではありませんので、あんなにバイタリティはないのですが、できる範囲で図書館員同士や、住民の皆さんと協力しながらぼちぼちたたかっていきたいと思っています。


◆おすすめ図書
ナット・ヘントフ『誰だハックにいちゃもんつけるのは』集英社(コバルト文庫)
 アメリカの学校図書館で『ハックルベリー・フィンの冒険』への利用制限とたたかう学校司書のおはなし。
 「誰かを傷つけない本なんか、一冊だってないんです。図書館中、捜してごらんなさい」という司書の台詞は、名言。

有川浩『図書館戦争』シリーズ メディアワークス
 自由宣言と図書館の自由の問題を世間(含ヤングアダルト)に知らしめた功績は大きい。

日本図書館協会図書館の自由委員会『「図書館の自由に関する宣言 1979年改訂」解説』日本図書館協会
 公式解説本です。
(静岡支部 新)
posted by 発行人 at 22:42 | Comment(0) | リレーエッセイ | 更新情報をチェックする

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