2011年04月25日

福島宏子さんを偲ぶ会 のお知らせ

長年にわたり練馬区立図書館に勤務され、草創期より近年にいたるまでの練馬区立図書館を創ってこられた福島宏子さんが、昨年11月に郷里の高知県で亡くなられました。

このたび、福島さんと一緒に働いた職員や、共に練馬区の図書館活動を行った地域の者で、追悼の会を企画いたしました。

地域ばかりでなく、図書館問題研究会での活動など全国でも幅広く活動された福島さんの思い出は、たくさんの方のご記憶に残っているものと思います。

生前の福島さんを知る多くの方にご参加いただいて、思い出を語り合い、福島さんのお人柄を偲びたいと思います。

日時  5月21日(土) 12時〜14時 (受付開始 11時30分)

会場  練馬区職員研修所2階研修室(西武池袋線練馬駅、都営地下鉄大江戸線練馬駅下車徒歩8分

会費  3000円(昼食代を含む)
発起人 大澤正雄 小形亮 小野寿子 佐藤葉子 関日奈子 田倉京子 西村彩枝子 福田鈴子

連絡先 小形亮(電話080−5445−6497)、福田鈴子(電話・FAX共通03−3977−4066)

参加される方は5月15日(日)までに、上記連絡先に電話もしくはFAXでお知らせください。


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2011年04月20日

図書館スタッフ交流会(とすこう)2011年度総会・交流会 のお知らせ

半年ぶりに「とすこう」の再開です。
今回は「図書館のツボ講座」ではなく、講演と交流会です。
図書館の危機管理の専門家の中沢さんに、今回の震災と災害に対する図書館の備えについてお話いただきます。
都内近県の非常勤、嘱託、臨時職員、委託スタッフの方、ぜひご参加ください。
また今回のテーマに関心のある正規職員や市民の方も歓迎です。 

主催
 図書館スタッフ交流会
日時
 2011年5月16日(月)13:30−16:30 
場所
 文京区民センター 3階 3-C会議室 (都営地下鉄春日駅下車徒歩1分、 営団地下鉄後楽園駅下車徒歩5分) 
講演
 災害と図書館  
講師
 中沢孝之氏(群馬県草津町立図書館)
内容
 東日本大震災における図書館の被災状況と自然災害に図書館はどう対したら良いのか。
 今回それぞれの図書館でどう対応したのかの情報意見交換も行います。
 講演に先がけて総会を行い、講演終了後交流会を行います。
対象
 公共および学校・大学図書館で働く非正規職員(委託、指定管理者スタッフを含む)
 またはこの問題に関心を持つ正規職員、市民の方 
年会費
 1000円 もしくは参加費 500円
事前申し込み
 不要 
問い合わせ先
 小形 亮 080−5445−6497
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2011年04月18日

奄美市住用公民館図書室へのカンパありがとうございました。

市長へ義援金手渡す.jpeg 2010年10月、奄美市を襲った記録的な豪雨により、奄美市住用地区が甚大な被害を受け、住用公民館1階の図書室が天井近くまで水没しました。これにより、1万6千冊の図書が廃棄を余儀なくされました。

 図問研では鹿児島支部からの報告を受け、奄美市住用公民館図書室の図書購入のためのカンパを2010年12月〜2011年3月まで呼びかけました。全国の皆さんから現金(672,151円)と図書カード等(81,395円)合計753,546円が寄せられました。2011年4月15日奄美市役所において中沢と鹿児島支部のメンバーが朝山市長に「住民が公民館図書室を一日も早く利用できるように」とカンパを手渡しました。

 カンパを寄せてくださったみなさんには、本来なら礼状等出さなければならないのですが、この場を借りてお礼いたします。温かい気持ちをほんとうにありがとうございました。

 住用公民館図書室では現在も復旧に向けた図書の整理作業が進められていました。市役所の方から、1階部分がすべて水没したことや、裏山が崩れたこと、水を吸った本が書棚から取り出せず書棚を壊したことなどを聞き、水害の恐ろしさを感じました。

 住用図書室の一日も早い復旧を心から祈ります。今後も住用公民館図書室に関わってゆきたいと思いますのでみなさんのお力添えをお願いいたします。

 今回の奄美での滞在では多くの関係者にお世話になりました。ありがとうございました。(詳細は『みんなの図書館』に掲載いたします)

委員長 中沢孝之
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東日本大震災遭遇記

<図書館に造詣の深いSEさんから情報いただきました。少し長いのですが、こんな脱出行もあったようです>

 3月11日の東日本大震災から2週間が過ぎました。亡くなった方々や未だ行方不明の方、今も避難生活を送られている方のことを思うと胸が痛みます。

 私たちは、東日本大震災を松島で遭遇しました。色々な方々にご心配いただきありがとうございました。特に皆さん、私が喘息の発作を起こしているのではと心配してくださったのですね。危ない場面もありましたが、その時々に手を差し伸べてくださる方々がいて、発作も起きずにすみました。15日に無事東京に戻ってきました。私たちは他の方々と比べたら本当に、本当にラッキーとしか言いようのない避難生活でした。皆さんに叱られそうな震災遭遇記をまとめました。

・仕事で遭遇?
 実は3月11日は、会社の自彊術仲間と有休を取って鳴子温泉一泊旅行の予定でした(ちなみに自彊術は、大正時代に中井房五郎氏が案出した自然治癒力を高める体操です。この体操のおかげで私の喘息は随分改善しました)。鳴子散策をするつもりだったのですが、前日に連絡があり鳴子は毎日10センチの雪と聞き、山用雨合羽のズボン、スパッツ、夜の体操のためのシルクのパジャマ、毛糸の手袋など普段の私にしてみれば準備万端で旅立ちました。それが後で大いに役立ちました。

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3月11日(金)

・実は、震度7は経験していないのです
 4人で旅行予定でしたが、二人は仕事が休めず現地合流ということで、私と自彊術の師範であるSさんは、初めての松島を遊ぼうということで朝から東京をたちました。12時に松島海岸に着き、まずは「漁師の海鮮丼」で腹ごしらえ。それから瑞巌寺で正宗公と円空の仏(この仏に救われたと私は思っています)を拝み、警備のおじさんから石にはいつくばった大木も見せていただき、遊覧船を堪能していました。

 突然、船がエンストのように揺れ、こんなところで水没したら即死だなと思っていたら、「今のは地震です。安心してください」とのアナウンス。友達と目を見合わせ、「それって何? 津波が来るでしょう!」。幸い船着場は5分ほどで着きました。そしたら、今度は声色も変わり「津波がきます、すぐに非難してください!」初めての松島です。地形も分からず、咄嗟にさっき言葉を交わした警備のおじさんを思い出しました。おじさんを探すしかない。私たちは誘導もありましたが、瑞巌寺へ向かって必死に走りました。後で話を聞いたら、地震の時はやはり海の上が一番安全なのだそうです。

・野原で野宿?
 おじさんに会い安堵し、避難誘導に従って瑞巌寺の裏にある駐車場へ向かいました。外は雪、寒さもひどく、余震も長く何度もありました。駐車場にも亀裂が走っていました。持っていた雨合羽のズボンを思い出し、その場で上から履きました。凄く冷たくて、ちょっと喉がやばいかな?と思っていたところ、警備のおじさんが瑞巌寺のシルバー人材センターの知人に声をかけてくれて、軽四に少しだけ乗せていただき寒さを逃れることができました。数分後、瑞巌寺やシルバーの方々が焚き火を起こし、みんなその周りに集まりました。今日はここで野宿かと思うと、とても寒さに耐えられないなと不安になりました。

余震と寒さに震えていましたが直ぐに焚き火が….jpg

・陽徳院の修行道場へ避難
 6時過ぎていたでしょうか、全員が愛姫の菩提寺である陽特院の修行道場へ避難しました。総勢300名ほどいたと思います。私たちは背もたれができる柱の場所を確保しました。畳であった上、座布団も配られました。しばらくして地元の阿部蒲鉾松島蒲鉾からかまぼこの差し入れがありました。以後、いろんなものにかまぼこが出てきました。おにぎりと熱いお茶も出されました。阪神大震災で何より暖かいものが出なかったと聞いてたので、熱いお茶は本当にありがたかったです。

 瑞巌寺には13人の雲水さんがおられたようで、皆さん一睡もせずに私たちの世話をしてくださいました。トイレも池の水を汲んできて流してくださいました。他の避難所は立って寝たとの話がありますが、広い部屋にはストーブも2つあり、寒いながらも横になって寝ることができました。

若くてカッコイイ瑞巌寺の雲水さん!.jpg

・パジャマが活躍
 隣にいた方が震えが止まらないようすでした。持ってきたパジャマを貸し、手袋は足にはめるよう薦めました。この方たちは私たちより早くに出て行かれました。後に届いたメールによると、山形の弟さんに支援を依頼し、新潟経由で帰られたそうです。後日、その他にも今回知り合った方々とメール交換をして、パジャマも受け取るついでに新宿で交流を深めました。みんなで松島リベンジツアーをできる日を待っています。

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3月12日(土)

・自彊術の披露
 朝起きると体が四角い金属板のようでした。雑炊が支給され熱いお茶も出ました。瑞巌寺はプロパンガスだったので煮炊きが可能だったのです。Sさんを誘って雲水さんに断り廊下の端を借りて体操をしたところ、体がほぐれました。ここでいつもの仕切り屋が頭角しました。お寺に話をし、皆さんに呼びかけたところ50人ほどの方が一緒に体操をしてくださいました。体操は解散するまで午前と午後みんなでしました。

・これでいいの?
 お昼も夕飯も何不自由なく雲水さんのお世話になるばかりで心苦しく感じ始めました。せめて食後の洗い物でもお話させていただきましたが、「これも修行」と断られました(同僚は勝手口まで入り、お茶碗洗いを手伝えたそうです)。保健士の方が、夕方気分の悪い方がいないかチェックに入ったのは夕方でした。

・ガソリンがない
 松島は水道も電気も鉄道もなく孤立状態でした。仙台には電気がきているとの情報が入ってきましたが、脱出するにもガソリンがないため車がだせません。車が津波で流された方々、お土産屋の品が参道に散乱しているなど、少しずつ周りの状況が見えてきました。愛媛からの団体は別の車が用意され、午後には出ていきました。

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3月13日(日)

・掃除でまた仕切り?
 この日もお世話になりっぱなしでした。お昼ごはんが終わった後、掃除をしますとのことで、毛布や座布団が集められました。大きなお部屋の掃除はこうやってするのだと効率的な箒さばきに感心しながら、私たちも手伝わせて欲しいと申し入れ、承諾を受け、座布団の回収やホコリ払いなどをこれまた仕切ってしまいました。雑然と陣取っていた寝場所はこのとき整然としき並べられ、毛布も一人1枚確保されました。レストランを経営するしんちゃんという方からカステラの差し入れがありました。甘くて本当においしかった。

・多賀城が燃えている
 午後、知り合った方数人と外に出てみました。津波警報は出ていたので海岸には近づけず、新富山の展望台へ行きました。松島もよく見えましたが、石油タンクのある多賀城から燃え続けている石油の煙が見えました。沖には津波でもっていかれた遊覧船が浅瀬に打ちつけられていました。

 松島は湾のため津波は決しておきないと伝えられていたそうです。その松島でも参道の半分まで津波がきたのだから、他の被害がどのくらいだったか想像を絶します。南北に10キロ離れていたら200〜300人の方が亡くなっているのですから。この日の夕方、学校から子どもの安否確認がありました。

多賀城が燃えている.jpg

・野蒜から奇跡の生還Hさん
 午後、Sさんがとんでもない方と知り合いました。奥松島で津波に遭遇し、奇跡的に脱出し4時間歩いて松島までたどり着いたHさんです。聞けば普段から生死に関わる作業をされているとのこと、彼は生きるべきして生かされたと思いました。

 津波にのまれ、間一髪で車から脱出し、引き潮で持っていかれそうになる体を柱にしがみつき生き延びました。着るものは2階で取り残された方に借りられたそうですが、当然無一文です。高崎の方で私も知っている宝石店をご存知とのこと。「私と一緒にいれば、お金はお貸しします」と約束しました。とても興奮していてPTSDが心配で、二人で何気なく見守っていました。彼に会わなかったら、私たちの地震に対する想いはきっと違っていたでしょう。

・スパッツが活躍
 津波警報の合間を縫って、地元の方や車を流された人達が海岸へ向かいました。大阪の二人組が酒屋に乗り上げた車を見にいくというのでスパッツを貸しました。これで、余分に持ってきたもの全てが活躍しました。

観月楼
 船着場の傍にあるお土産屋さんの観月楼の被害はシャッターを下ろしていなかったので一番ひどかった。参道に散らばっているのは自分の商品で、瑞巌寺に申し訳ないと女将さんが話していました。ヘドロに浸かっても缶詰や真空パックのふかひれ等は食べられるから、津波警報が解除されたら雲水さんが掃除にいくとのことでした。

 夜はなかなか眠れず、女将さんにお願いして地元のお話など聞かせていただきました。3年前に亡くなったご主人が、息子と同じ大学で合気道をやられていたのも何か縁があったのでしょう。おかげで避難所にいながらお菓子の差し入れにも恵まれていました。

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3月14日(月)

・参道の掃除
 朝の雑炊をいただいた後、観光客の方に声掛けして参道の掃除をしました。散乱している品物は、(1)箱は汚れてるけれど中は大丈夫、(2)ちょっと汚れているけど洗えばOK、(3)ヘドロにまみれているけど食べられる缶詰や真空パック、(4)断念するゴミに分け、みんなでヘドロと苦戦しました。気がつけば率先して参道のヘドロを掃除してくださる方もいました。お店の中のヘドロを除去する学生たちは、本格的なボランティアは初めてだと張り切って手伝ってくれました。どこで聞きつけたのか朝日新聞の記者が取材に来ました。主婦ですかと聞かれたので、しっかり会社の宣伝もしてしまいました。

・宮古が全滅?
 津波警報が出たのであわてて寺に戻ると、先ほどの記者から宮古の状況を聞いたスパッツさんが泣き崩れていました。宮古にはだんな様がいて、地震直後には安否確認が取れていたのですが、その後音信不通になっていたのです。宮古は全滅に近いとのことで帰ることができず、大阪の実家で立て直すと気丈にも話してくれました。後日Sさんから、だんな様も大阪入りし、28日は二人で宮古へ向かうとのメールが入りました。時間がかかっても再出発する二人にエールを送りました。

・お昼は菓子パン半分、そして解散
 お昼は菓子パン半分(と私は記憶してますが、同僚は1個だったと言ってます)とトマトでした。援助物質が届いたのですが、いよいよ食べ物も底をついてきたのでしょう。消防署と警察署の方から話があり、仙台から山形行きのバスが出ているので、午後2時に観光客を仙台まで送るとのことでした。松島町教育委員会が2台のマイクロバス分のガソリンを調達したのです。ここにこれ以上いては迷惑がかかる、そう思いました。

浦霞大吟醸
 バスの時間まで1時間ありました。お店にはまだ被害を受けていない飲み物や牛タンなどがありました。数人を誘って食べ物だけはかき集めようとお店に行きました。そして、本日の野宿?のためにお菓子とちゃっかり浦霞大吟醸を一本、女将さんは快くくださいました(次回お伺いしたとき、倍返ししますからね)。

・バスで仙台へ
 お世話になった毛布や座布団を一箇所に集めましょうと、最後の仕切りをし、仙台へと移動しました。別れ際に、雲水の方が手をとってくれ、これから先の私たちの仙台での心配をしてくださったのには胸が熱くなりました。総勢50名が仙台へ非難です。仙台市立図書館の知人に図書館で避難可能か連絡しましたが、図書館は既に閉鎖、彼女は中学校で支援活動、自力で頑張ってくださいとメールが返ってきました。仙台は電気が通じていたので携帯も通じたのです。

・新潟行きバスチケット確保
 バスを降りると、みんな一目散に山形行きの高速バス乗り場をめがけて横断歩道も無視して飛び散っていきました。私たちは最後のほうだったので警備員さんに呼びとめられ、地下道を渡るべく迂回しました。そこで津波にのまれたHさんがいないのが発覚。お金をまだ渡していなかったので心配していたところ、地下道でHさんと会いました。ちょっと離れていた間に、Hさんが新しい情報を入手し、駅の反対側から新潟行きのバスが出ていることが分かりました。新潟からなら新幹線が走っている!

 駅で携帯を充電させてもらい、案内所は閉まっているのでインターネットでチケットを購入するよう言われましたが、QRコードを読ませるのがまどろっこしくていけません。会社の同僚にインターネットでチケット購入をお願いしました。このとき、私たちは8人まで減っていました。しばらくして明日のチケットが取れたとのメールが入りました。ただし6人分!後は21日まで満席だそうです。この中の2人は帰れない!同僚のSさんに、私たちが残ろうねと目配せしたらうなずいてくれました。

・仙台で野宿?
 21日のバスなんて気が遠くなりそうでしたが、まずは今日の宿を確保しなければなりません。電気がついていてもビジネスホテルは全てクローズ。会社の人が避難していると聞いたメトロポリタンも人影がありません。

 トイレだけ借りて避難所に指定された県庁へ行こうとしていたとき、一人の携帯に、営業しているネットカフェがあるとの情報が入ってきました。それまでも気をつけて見ていたのですが、どこも閉まっていたのが、行ってみたらなんと営業しています。8人分の場所を確保できて野宿は避けることができました。途中にどんぶり屋も見つけ、あと10食しか残っていないところへ滑り込みセーフ。避難していた話をしたらお手製のフルーツケーキをご馳走してくれました。

・浦霞で乾杯
 食事から戻って最後に皆で集まり、いただいた浦霞で乾杯しました。Hさんは1合ほど一気に飲みほし、多分地震から初めてぐっすり寝たのではないでしょうか。浦霞はHさんのためにいただいたのですね!

・明日帰れる!?
 浦霞を飲んでいたとき、Sさんの義兄から翌日15時半の山形空港から羽田空港へのキャンセルが出たと連絡がありました。帰れる! でも、山形空港までどうやって行くの? 空港バスはいっぱいだし。そしたらまた連絡があり、県庁前から乗り合いバスがあるとのこと。どんなことをしても明日バスに乗る!

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3月15日(火)

・朝5時に250人
 朝5時に県庁前に行ってビックリ! なんと既に250人の長蛇の列。15時半の飛行機に乗れるかなあ?? 列は凄い勢いで長くなるけど、バスは一向に来る気配がありません。私の隣は取材されていましたが、後で嫁さんのお父さんから「お母さん並んでました? 姿うつりましたよ」と電話がありました。派手なピンクのダウンは目立ちます。このまま並んでいてもせっかくの飛行機のチケットが無駄になると、通るタクシーを止めても止めても、どれも山形空港までいける燃料がありません。

 その時、ふっと反対車線に個人タクシーが止まりました。グリーンベルトを突っ切って交渉すると、なんと行ってくれるというではありませんか!昨日聞いていた料金の倍でしたが、そんなこと言ってられません。ちょうど同じ飛行機に乗る子連れの方がいらして一緒に山形空港まで乗り合いました。

・温泉に入りたい?
空港には朝8時前に着きました。11時過ぎになって、10分ほどのところに温泉町があり営業しているとの情報が入りました。15時半の飛行機なら十分間に合います。「行こうか!」と言った矢先に、また義兄から、12時半の飛行機にキャンセルが出たと連絡がありました。温泉行きは取りやめ、急いでチケットを交換。それでも到着が1時間遅れているというので、レストランで食事を取り、お土産を物色していたら、同僚が「私たちの乗る飛行機、Boardingってなってるよ」しかも、なんと名前を呼んでいるではありませんか。私たち二人のために飛行機を遅らせる落ちまでついて、東京へ無事帰還できました。

・生かされて
 結局、誰よりも私たちが早く東京にたどり着きました。思えば、新潟行きのバスチケット6枚を強引に私たちが入手していたら、きっと私たちの運は「蜘蛛の糸」のように、その場で尽きたことでしょう。

 夜、無事着いた高崎のHさんの奥様から涙いっぱいのお礼の電話をいただきました。野蒜の悲惨な状況をテレビで見られていたので、どんなにか心配したことでしょう。昨年、会社のサークルで「ちゅだみどぅでみ(沖縄の言葉で人為我為)」という文字を入れたTシャツを作ったのですが、あの言葉はまさに今回のためにあったのだと、改めて思いました。

 今でも避難所で暮らす人達がたくさんいます。津波で大勢の方がのみこまれていったのに、私たちが生かされたのは、きっとこれからまだ生きていく意味があるということなのでしょう。9月に定年を迎える身ですが、まだ私にできることを探していきたいと思います。
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2011年04月17日

講演会「あらゆる知識へのユニーバーサルアクセス−誰もが自由に情報アクセスできることを目指して」のお知らせ

<国立国会図書館さんから情報いただきました>

 国立国会図書館では、インターネット・アーカイブ(Internet Archive: IA)の創設者ブリュースター・ケール氏をお招きし、講演会を開催します。

 IAは過去のホームページを保存して閲覧できるWayback Machineで日本でも知られていますが、ウェブサイト、動画、音声等の電子アーカイブを公開し、また書籍の電子化を行っている非営利団体です。ケール氏は、そのキャリアを通して、電子的手段により誰もが自由に情報にアクセスできることを目指して取り組んでいます。

 講演会では、開かれた情報アクセスの現状と将来について伺います。講演に引き続き、ケール氏、時実象一愛知大学教授、長尾真国立国会図書館長による鼎談を予定しています。多くの方のご参加をお待ちしています。

日時
 平成23年5月24日(火)14:00〜17:00 ※13:30より受付開始

会場
 国立国会図書館 東京本館 新館講堂

募集人数
 300名(先着順)

申込方法
 以下の必要事項をご記入の上、下記お問い合わせ先のメールアドレスまたはFAX番号までお送りください。

  1.講演会名(ブリュースター・ケール氏講演会)
  2.お名前
  3.お名前のよみ
  4.メールアドレス/FAX番号

問い合わせ先
 〒100-8924 千代田区永田町1-10-1
 国立国会図書館 総務部 支部図書館・協力課 協力係
 電話: 03-3581-2331(代表) 
 FAX: 03-3508-2934
 電子メール: events@ndl.go.jp  

申込締切
 平成23年5月16日(月)17時(先着順で定員となり次第、受付を終了します。)

詳細は下記をご参照ください。
http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/20110524lecture.html
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緊急討議「東日本大震災 被災支援とMLAK-いまわたしたちにできることは」のお知らせ

saveMLAK.png<saveMLAKプロジェクトさんから情報いただきました>

 3月11日の東日本大震災から一ヶ月が経ちました。この未曾有の災害に直面し、救命とライフラインの復旧が何よりの課題でありますが、同時に失われた多くの文化財のあることも私たち、博物館・美術館、図書館、文書館、公民館(MLAK)に関与するものは深い衝撃を持って受け止めざるをえません。

 震災の当日より現在まで、被災・救援情報サイトを構築しsaveMLAKにいたっている者たちの有志により、震災後、直近の関連学協会である日本アーカイブズ学会の年次大会に先立ち、標記の会合を持つことにいたしました。 MLAKに関わる多くの方々のご参集と今後の取り組みの展望へ向けて、討議が広く展開されることを期待いたしております。

日時
 2011年4月23日(土) 13:00 - 14:30
場所
 学習院大学(目白) 南3号館203教室
呼びかけ人
 saveMLAK有志
スケジュール・登壇予定者
 現在調整中。

詳細は下記をご覧ください。
http://savemlak.jp/wiki/saveMLAK:Ev/20110423
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2011年04月14日

みんなの図書館2011年5月号が出ました

みんなの図書館2011年5月号.jpg◆◆目次◆◆
特集:県立図書館は、いま
特集にあたって 編集部 01
長崎県立長崎図書館の現在と過去 田浦知子 02
高知県立図書館・高知市民図書館合築について 浜田倭子 08
県内市町村立図書館規模構成および相互貸借状況における都道府県類型―県立図書館機能検討のための一参考資料として 星野盾 16

一般:
図問研草創の頃 棚橋満雄 36
USTREAM(ルビ=ユーストリーム)とtwitter(ルビ=ツイッター)のすすめ 米田渉 41

連載:
図書館ノート―5 「信頼関係」というマジックワード 山口真也 43
出版産業時評―5 公務員の“人事交流”に異議あり! 長岡義幸 48
アメリカの図書館は、いま。―54 移動図書館BMはいま。 井上靖代 55

各地のたより:
高知発=福島宏子さんを偲ぶ会 武市佐和子 63

図問研のページ:
非正規職員のための交流のページ 九州図書館非正規職員交流会(きゅうひこう)を開催しました 田中裕子 67
今、埼玉の公共図書館は?」集会を開催しました 松村みどり 75
東北関東大震災で被害を受けられた方々に心よりお見舞い申し上げます 中沢孝之/編集部 76
第8回常任委員会の記録 78
今月贈っていただいた本 79
会員異動/編集後記 80

『図書館評論』52号の原稿締切が近づきました! 15
《相談窓口》「非正規」の皆さんの相談受付中 34
図問研60年史編集委員会発足 40

column:図書館九条の会:
大逆事件と「謀叛論」 大澤正雄 65

column:図書館の危機管理
図書館員を狙う魔の手 中沢孝之 74

Crossword Puzzle; 323 35


◆◆特集にあたって◆◆
昨年からたびたび高知県の県・市合築問題については、本誌でも取り上げてきました。「地域主権改革」という流れの中で、県から市町村へ移譲される事業が増加するなかで、「県」の存在が薄くなることに対する危機感と、今夏の大会で久々に「県立図書館」の分科会を設置する方向で準備していることから、「県立図書館」をテーマに特集を組みました。

県庁所在地、政令指定市の図書館と比較され、「対個人貸出」にシフトせざるをえない県立図書館。長崎からは、県庁所在地に図書館ができてどう変化したかを報告していただいた。また高知からは、冒頭に触れた合築問題について改めてまとめていただいた。

群馬の星野氏からは、『図書館年鑑』の「相互貸借」データをもとに県立図書館を類型化する原稿を寄せていただいた。相互貸借の数値だけでなく、県内各図書館の蔵書冊数に着目し考察をしている。これまで相互貸借の実数だけで論じることが多かったが、違った視点を提示していただいた。

みなさんのお住まい、勤務されている「県立図書館」はどんな状況でしょうか? 支部などで話し合う材料にしていただければ幸いです。


(編集部 文責:松本芳樹)

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2011年04月12日

避難者の交流会

<福島原発からおよそ20kmの距離にある南相馬市と、その避難所がある町との図書館員のやりとりです。>

今日、避難者の交流会があると言うので会場へ行ってきました。K町には南相馬市を中心に250名ほどが避難しています。市役所の職員も1名常駐になりました。120名の参加でしたが、早く家に帰りたいという思いが伝わって胸が熱くなりました。

他の避難所と異なるのは、体育館やホールのような場所ではなく旅館、ホテル、ペンションなど20か所くらいに分宿している点です。ですから、みんなに情報を行き渡らせることが難しいのですが、宿の部屋なのでプライバシーは確保されるという長所があります。

その交流会の冒頭、社協の職員の計らいで図書館のPRもできました。「南相馬の図書館は立派で(と言ったら、みんな大きくうなずいていました)、南相馬の図書館員も知っています。K町の小さな図書館では物足りないでしょうが、精一杯サービスしますので利用してください」と。

そして、福島の新聞を持っていくと、みんなむさぼるように読んでいました。愛着ある地元新聞は大事ですね。でもその日に届かないのが難です。

そのあと、子どもたちと遊び、おやつももらい、帰りました。もちろん、記録の写真も撮りました。

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆


南相馬市のHです。Nさんの避難した方への心遣い、感謝にたえません。避難した方が、福島民報を読んでいる姿が目に浮かびます。

原発と津波で家を追われた方の、帰りたい気持ちは日に日に強くなっていると思います。特に高齢の方は、帰りたいだろうなと...

私は、明日から1か月、T市の避難所へ派遣になります。K町への派遣を期待していたのですが残念です。恩返しができず、申し訳なく思っています。

南相馬は、混乱が続いています。地震と津波だけであれば、人の力で復興を進められますが、原発のせいで、ままならない状況です。悔しさと焦りだけが募ります。地震と津波で命を奪われ、原発でふるさとと日常を奪われた哀しみは、言葉にできません。

南相馬の図書館は、再開の目処がたっていません。図書館は、日常そのものだと改めて思います。Nさんが話された図書館の話は、まさしく日常だと考えます。

原発周辺の市町村は、原発のせいで大切なふるさとを奪われました。ふるさとを奪われた人の深い哀しみ、そして突きつけられた絶望を思うと、言葉になりません。そんな中で、Nさんから頂いた温かい言葉は、絶望の中からみえた光でした。

今、こんな言葉を思い出しています。「図書館は記憶する、愚かさまでも」。人間の愚かさを記憶する図書館の重要性を改めて噛みしめています。

◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆


Hさん、お忙しい中、返信ありがとうございます。

今日は市役所の方3名と看護師の方が見えました。市の職員が一通り説明し終わると市民から「質問をさせてくれ」と声が飛び交いましたが、職員も原発のことはまったくわからないと困惑気味でした。

また、お年寄りは「便秘になって」とつぶやいていました。今回の交流会では、医師や保健師も相談窓口を開設していましたが「お金がかかるんだろ」と不安げでした。「そんなことないよ、お金はいらないんだよ」とK町のボランティアが言うと、顔が明るくなりました。

みんなが分かっているという理解は間違っていますね。一人、ひとりから話を聞き、どんなことでも答えないとダメですね。

実は先日、K町の図書館で南相馬の方と話したら「南相馬にはHさんという良い図書館員がいるんだ」とHさんの名前が飛び出しました。ちょとびっくりした反面、Hさんが南相馬で取組んでいることが目に浮かびました。

T市でいろいろ大変なことも多いと思います。でも無理しないでください。身体を大切にしてください。こっちも、できることを精一杯やります。
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2011年04月09日

余震に注意してください

地震から一ヶ月が経とうとしていますが、依然大きな余震が続き、被災地の復興を妨げています。

今回の大地震は想定外の規模で、津波や余震、そして各地に与えた影響は計り知れません。3月11日のM9の大地震の直後に長野や静岡で発生した地震も直接の関連は不明なものの、今後、このような余震がどの地域で起きても不思議ではありません。

地震はいつ、どこで起きるのか誰にもわかりません。もう一度館内で、地震への対策を確認してください。守るものは命です。

以下に主な確認ポイントを挙げます。

1) 館内で一番安全な場所はどこですか。
2) 大きく揺れたとき、館内で適切な対応がとれますか。
3) ハザードマップの確認を全職員で行ってください。
4) 自治体の避難場所はどこですか。
5) 土・日の連絡体制がとれていますか。
6) 地震等の情報を集め提供する体制はできていますか(複数のルートを確保することをすすめます)。
7) 館内の防災設備(火災報知器/消火器)の位置、操作法を理解していますか。
8) スプリンクラーが誤作動した場合の止め方は分かりますか。
9) サンダルやスリッパを履いて仕事をしていませんか。
10) 書庫に入るときは入庫の記録を取り、懐中電灯やホイッスル等を持って入ってください。
11) 停電をしたとき、館内ではどのようなことが発生しますか。また、その影響を極力小さくするために行うことはなんですか。
12) 地震の際、システムへの影響とその対処を挙げてください。
13) 徒歩での帰宅ルートを把握していますか。

*文部科学省のホームページにある「図書館におけるリスクマネージメンントガイドブック−トラブルや災害に備えて−」も目を通してください。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/tosho/houkoku/1294193.htm


(図書館の危機管理+自由委員会 中沢孝之)
posted by 発行人 at 11:22 | Comment(0) | 声明・要請等 | 更新情報をチェックする

2011年04月06日

「国会議員等からのレファレンス状況報告について」

国会図書館に出向中の外務官僚がレファレンス内容を外務省に報告していたことが、2月18日に公開された外交文書において明らかとなり、新聞等で報道されました。

ここで、該当文書をスキャンしたものを公開します。
国会議員等からのレファレンス状況報告について(PDF:824kb)

図書館問題研究会の常任委員が外交史料館において、2月末に当該文書を閲覧・複写し、3月上旬に「ともんけんウィークリー」への掲載許可を外交史料館に申請しました。しかし、3月中には掲載の許可が下りなかったところ、外交史料館より4月1日以降はブログ等で公開することに申請を要しなくなったとの連絡がありました。「公文書等の管理に関する法律」が2011年4月1日付で施行されたことに伴い、「外務省外交史料館利用等規則」が施行され、従来の「外務省外交史料館利用規則」が廃止されました。新たな利用等規則では、従来あった掲載のための申請が不要になったためとのことです。

当該文書は、平成22年度第4回外交記録公開(平成23年2月18日)の「沖縄関係24」「1971年6月の日米外相会談について」のファイルに含まれていました。レファレンスの質問内容にこの外相会談に関するものが含まれているため、その部分がこのファイルに含まれ、公開されたものと思われます。

当該文書では、1997年12月19日から22日のレファレンスを12月24日に、12月24日から25日のレファレンスを26日に外務省に報告しており、頻繁かつ恒常的にレファレンス内容が漏洩していたことが疑われます。

なお、図書館問題研究会では3月中旬に開催予定だった全国委員会において、この事件について討議し声明を出す予定でしたが、東日本大震災の発生にともない全国委員会が中止されたため、現在のところ声明等は出されていません。
posted by 発行人 at 22:20 | Comment(0) | その他 | 更新情報をチェックする

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